3月11日、日本は第2次世界大戦後、最悪の災難を経験した。どこの誰も、日本が経験している地震、津波、放射性漏れ被害の「三重の悲劇」がもたらす苦痛の大きさを推し量ることはできないだろう。中でも原子力は最も深刻で、現在進行形であり、韓国国民にも潜在的影響力を及ぼす可能性がある。世界で初めて核攻撃を受けた日本が、平和的に推進してきた原子力エネルギーによって再び苦痛を受けるとは、歴史のアイロニーだ。
日本人は、自制力と統制力を発揮し、自治の能力を見せている。最悪の災害でも勇気を失わない姿と他人に模範を示す節制された行動は印象的だ。途方もない苦痛の中で発揮される日本の禁欲主義は、いつになく際立つ。
しかし、政府当局は後手に回っている。原子力発電所(原発)の運営と安全装置づくりに責任がある東京電力は、一般国民だけでなく政府にも、情報を明らかにしなかった。政府も、強力なリーダーシップが発揮できず、不安に包まれた国民を安心させる機会を逸してしまった。
3月23日、シンガポールに行くために経由した東京の成田空港では、わずか12日前に発生した災害の後遺症をほとんど見られなかった。節電節水の小さい案内文が目についたが、生活必需品の不足は感じられず、基本的なインフラ施設も問題なかった。
日本は、20世紀に2度の大地震を経験した。一度目は、10万人以上の人命被害を出し、東京と横浜を廃虚と化した1923年の関東大地震だ。日本の政治と経済の中心で発生したこの地震で、日本国民は適切に対応できなかった。当時、日本は、不安のはけ口として、朝鮮人を含む一部少数民族を放火犯に追い込んだという記録もある。大地震は日本経済を揺さぶったが、その中でも日本は、地震に備えた建築技術を発展させ、新しい都市開発に乗り出すことができた。
95年の阪神大地震も、人口が密集した産業地域で発生し、最も重要な港の一つである神戸が完全に破壊された。世界10大物流港だった神戸は、その地位を韓国の釜山(プサン)に譲り渡した。
国際経済の特性上、日本が経験している三重の災害は、国際経済の供給と物流に一時的な支障をもたらす恐れがある。激しい国際競争の中で、日本の産業界は競争力を失うかもしれない。しかし、今回の地震と津波が経済の中心地域で発生しなかったという点は救われる。だが、日本の復旧には途方もない費用がかかり、政府に大きな負担になるだろう。しかし、より重要なことは、復旧費用ではなく自信の回復だ。日本が今回、未曽有の大災害に遭って見せた勇気と強靭な回復力、そして道徳的な勝利は、日本の魂を再び灯す動力として作用するだろう。また、今回、事態を処理する過程で抱いた公権力に対する国民の懐疑は、「従順な社会」日本を根本から変える機会を提供している。