Go to contents

[オピニオン]半世紀を迎えた5・16

Posted May. 16, 2011 07:09,   

한국어

今日は5・16が起きてちょうど50年になる年だ。朴正煕(パク・ジョンヒ)政権下の第3共和国と第4共和国の憲法には5・16が革命と位置づけられた。その後、5共和国の憲法からは5・16への言及が抜けた。削除そのものが象徴するところが大きい。確かに5・16は、後進国でまれに見る合法政府を崩壊させる軍事クーデターだった。しかし、そこにはエジプト・ナセルのクーデターのように革命と呼ばれる要素も無くない。50年前にそのように感じた人が少なくなかった。

◆当時、米国CICが通りかかる市民を対象にクーデターに対する世論調査を行ったところ、10人に4人は賛成、2人は賛成するが時期が早い、4人は反対することが分かった。張勉(チャン・ミョン)首相は回顧録で、辞任を決めた直接的な動機は、クーデターを支持する尹潽善(ユン・ボソン)大統領の態度を知ったためと書いた。当時、サミュエル・バーガー米大使は、「4・19で李承晩(イ・スンマン)を追い出した学生らは、張勉政府に働きかける目的で毎日のように集会を開き、張勉政府は全国的に秩序維持に失敗して民主主義への確信が急速に消えた」と軍事クーデターの背景を分析した。

◆大衆の間で歴代大統領のうち、浮動の人気1位は朴正煕(パク・ジョンヒ)大統領だ。春窮季を経験した世代には、檀君(タングン)以来初めて食べる問題を解決してくれた朴大統領への郷愁がある。4・19以後、学界に民族経済論が流行していた時、輸出志向の産業化で世界自由貿易拡大の流れに乗り込んだのは、朴大統領の慧眼だ。社会全体から見ると、朴正煕の功は経済開発であり、過は民主主義の抑圧という折衷論が一般的と言える。

◆後進国で経済開発と民主主義の抑圧は、コインの両面のようなものなのだろうか。一方では産業化は朴正煕のリーダーシップに起因するところが大きいが、だからと言って権威主義の指導者にのみ可能なわけではないと指摘する。ドイツ、日本など、戦後の復興を成し遂げた国々は、議会民主主義の枠内で実現した。もう一方では近代化の基礎が磨かれていない後進国で、権威主義の体制でなかったら、産業化は難しかったはずという主張もある。いずれにせよ、民主化と産業化を一緒に置いて5・16を評価するのは、民主化だけで5・16を評価した従来より一歩進んだ態度だ。