ロナルド・レーガン(1911〜2004)元米大統領の銅像が、ハンガリーの首都ブダペストの米国大使館前の自由の広場に建てられた。ハンガリー政府は3日前に除幕式を行い、「冷戦を終息させ、ハンガリー人に主権を取り戻させたレーガン大統領に感謝を捧げ、永遠に記憶する」という声明を発表した。レーガン元大統領はハンガリーを訪れたことはないが、ハンガリー政府と国民は様々な行事で、故人の生誕100周年を記念した。3年前には、ブダペスト市立公園にレーガン元大統領の胸像が建てられ、今年3月には生誕100周年記念切手が発行された。
◆ハンガリー政府が言及した「冷戦の終息」は、レーガン大統領(当時)の1987年6月12日のドイツ・ベルリンでの演説で始まったと言うことができる。レーガン大統領は、ブランデンブルク門の前で、ベルリンの壁を眺めて行った野外演説で、ソ連のゴルバチョフ書記長に大胆な提案をした。「あなたが平和を望むなら、ソ連と東欧の繁栄を望むなら、自由を望むなら、この扉から出てきて下さい。この扉を開けて下さい。この壁を取り壊して下さい」と。
◆ベルリンの壁は、レーガン大統領の演説から2年5ヵ月が経った1989年11月9日、嘘のように崩壊した。レーガン大統領の退任10ヵ月後だった。レーガン大統領のベルリン演説は、世界の激変を予告した預言者的メッセージだった。ソ連を「悪の帝国」と規定し、在任8年間「力による平和」を追求したレーガン大統領の対ソ政策は、冷戦終息の原動力だった。時事週刊誌「USニューズ&ワールド・レポート」は07年、レーガン大統領のベルリン演説を「歴史に残る米大統領の7つの名演説」の一つに選定した。
◆ハンガリーのレーガン銅像の除幕の知らせを聞き、仁川(インチョン)自由公園にあるマッカーサー将軍の銅像が思い出された。マッカーサー将軍は、スターリンの指図を受けた金日成(キム・イルソン)北朝鮮主席が起こした韓国戦争で、自由大韓民国を共産化の危機から救った。韓国戦争参戦の決断を下したトルーマン大統領、仁川上陸作戦を敢行したマッカーサー将軍、そして名前も知らない国に命を捧げた数多くの国連軍がいなかったなら、今、私たちは金正日(キム・ジョンイル)治下に暮らしていたことだろう。過激団体が時々デモを行い、銅像を破壊しようとするため、仁川自由公園のマッカーサー銅像の前に太い鎖が張られ、警察が常に警備に立たなければならない。マッカーサーが統一を妨害したと騒ぐ人々は、明らかに共産体制での統一を夢見る人々だろう。
方炯南(パン・ヒョンナム)論説委員hnbhang@donga.com