16日、中国を経由して訪れた白頭山(ペクトゥサン)は銀世界だった。白頭山は9月半ばになるともう初雪が降る。近くの延吉・集安で見ごろの紅葉を鑑賞した後、すぐ白頭山に登ると、雪国が目の前に広がって自然の神秘に驚かされる。海抜2750メートルにある天池へ行く登山路は、完全に閉鎖された。天池の水が作り出した高さ67メートルの長白瀑布(ちょうはくばくふ)の近くまで何度も滑りながら、やっとの思いで到着することができた。
◆国土の7割が山の韓国は、昔から山と親しかった。半島の北側に構えた高句麗(コクリョ)が初首都に決めた場所は、海抜800メートルに位置した卒本(チョルボン)城だった。今度の旅行でこの山城の周辺には幸い雪が降らなかった。山城まで999段の階段を上るというのは、本格的な登山だった。100メートルの直壁に囲まれた天恵の要塞へ上る4本の道を登り続けた我々の祖先は、まさに山登りの達人ではなかったかと思う。汗を拭いて眺めた卒本城の頂上には、高句麗を象徴する「伝説の鳥」三足烏の旗がはためいていた。
◆山男、朴英碩(パク・ヨンソク)さんがヒマラヤ・アンナプルナを登頂する途中、連絡が途絶えた。下山の途中、最後に交信した内容が「後2回下降したら、降り終わる」という言葉でさらに胸が痛む。彼は05年、ヒマラヤ14座、南・北極とエベレスト、7大陸最高峰を全て征服して、世界で初めて山岳グランドスラムを達成した。氷点下40〜60度の厳しい寒さの中で、100キロが越える重い荷物を背負って、2ヵ月ぐらいを耐えて北極点を訪れたりもした。彼は、「チャレンジする人が世界の主」と言って、「1%の可能性があっても、絶対諦めない」という言葉をよく口にした。
◆エベレストで足を踏み外して転落し、2日間意識を失って目を覚ました彼が最初に発した言葉は「待っていろ。また行くから」だった。血肉同然の後輩と一緒にエベレストを征服するという一念で改めて覚悟を決めた。こむら筋肉が裂けて、酸素筒の酸素が切れても「神様の地」を踏むことを彼は諦めなかった。幾度も生と死の境界を行き来した彼がヒマラヤの雪の中に閉じ込められている。「限界を越えるために、私自身に挑戦した」と言った朴さんの無事帰還を切に願う。白頭山の子孫は簡単に諦めない。
ハ・テウォン論説委員 triplets@donga.com