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[オピニオン]チェ・ホンの「トロットゴーゴー」

[オピニオン]チェ・ホンの「トロットゴーゴー」

Posted September. 12, 2012 05:44,   

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私が中学生になった頃の1976年、チョ・ヨンピルの「釜山港へ帰れ」とチェ・ホンの「オドンイプ(桐の葉)」が大ヒットした。「釜山港へ帰れ」はラジオでのみ聞くことができたし、テレビではチェ・ホンだけを見た。私の覚えの中でチョ・ヨンピルを最初に見たのは1979年以降だ。チョ・ヨンピルが大麻騒ぎに巻き込まれてテレビに出演できなかった4年間はチェ・ホンの独り舞台同然だった。1979年、チョ・ヨンピルが「窓の外の女」を発表して、1980年代を牛耳るまで男子歌手の中では彼が最高だった。

◆テレビをつけると流れたチェ・ホンの歌に飽きていた1977年のある日、下校時に乗ったバスの中で「サヌリム」の「アニボルソ(おや、もう朝?)」が流れた。初めて聞くその歌があまりにも気に入って、最後まで聞くために、家の前で降りられなかった。実は、「アニボルソ」は新しいのではなく、新しく聞こえたと言った方が正確だ。すでに1975年、シン・ジュンヒョンとヨプジョン達の「美人」のような曲がヒットしていたが、すぐ禁止曲になって聞くことができなかった。チェ・ホン流の曲を「トロットゴーゴー」と呼ぶ。音楽評論家のシン・ヒョンジュンは、「韓国ポップの考古学1970」という本で、「1970年代半ば、シン・ジュンヒョンとソン・チャンシクが好きで、1970年代後半、サヌリムや滑走路のファンだった人々にとってこのような曲は『嫌悪の対象』に他ならないだろう」と書いた。

◆チェ・ホンは実はグループサウンドのボーカル出身だ。キーボイスと共に、1970年代初めの代表的なグループのヒーシックスでチョ・ヨンピルがこの地のナンバーワンキタリストと選んだキム・ホンタクと一緒に活動した。音楽評論家のカン・ホンによると、ヒーシックスはボーカルを補強するために、ボーカルとセカンドキターを一緒に演奏するメンバーをオーディションする。リーダーのキム・ホンタクは5人を候補に上げて最終的に2人を選抜したが、1人がチェ・ホンで、もう1人がチョ・ヨンピルだった。チョ・ヨンピルは鼻音なので、ハスキーボイスのチェ・ホンが選ばれた。

◆維新は歌謡曲にも影響した。ナム・ジンとナ・フンアは1972年、歌謡浄化運動でトロットが倭色に追い込まれてテレビで姿を消された。そのブランクをソン・チャンシクらセシボン歌手のフォークソングが埋めた。グループサウンドらは長髪、ミニスカートなど退廃風潮への取り締まりにも関わらず、ホテルのゴーゴークラブで命脈を維持したが、1975年、大麻取締りで解散した。チェ・ホンは生き残ってソロに転向して成功した。彼がこの世を去った今、生まれつきの魅力的な声で聴衆を魅了したあの時代が懐かしくなる。

宋平仁(ソン・ピョンイン)論説委員 pisong@donga.com