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[オピニオン]蛇と北方文化

Posted January. 01, 2013 04:53,   

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キリスト教とイスラム文化圏の間で、蛇は邪悪なイメージを持っている。エデンの園で、エバが禁断の果物である「善悪の知識の木の果物」を取って食べるよう誘ったのはほかならぬ蛇だ。そのとき、呪いをかけられた蛇は地を這い回ることになったと、聖書には出ている。ギリシャ神話で、メドゥーサの髪の毛は蛇だ。メドゥーサが、海の神・ポセイドンとひそかに情を交わしていたところ、アテネの女神にばれ、のろいをかけられて醜い姿に変えられてしまう。儒教文化圏でも蛇は歓迎されなかった。竜頭蛇尾という言葉からもわかるように、龍を崇め、蛇を蔑んだ。韓国の伝統的民話を見ても、蛇が描かれた絵はほとんど無い。カササギを食おうと巣に近づく悪い大蛇の物語はある。しかし、それを描き、掛けたがっていた人はあまりいなかったらしい。

◆蛇のイメージは、北方文化圏ではあまりよくない。しかし、南方文化圏ではそうではなかった。カンボジアのアンコールワット遺跡や南米のマヤ遺跡に行けば、巨大な石造りの手すりに、蛇が刻まれているのがわかる。東アジア人なら、それが龍ではなく蛇だということに、まず驚くだろう。ここでは蛇は神にまで崇められている。インドで起きた仏教を見ても、釈迦無二の光背は、元々コブラの頭の形状がその起源となっている。コブラがとぐろを巻いた上に釈迦無二が座っており、その後ろで、釈迦無二に雨が当たらないように、コブラが頭をもたげている彫刻が、南方仏教には多い。

◆仏教が北方、すなわち、中国や韓国、日本へと伝わり、彫刻も変わってきた。釈迦無二が座っているところの下に蛇がとぐろを巻いたところは蓮の花が支える形に変わり、光背にも蛇の形の代わりに、蓮の花や唐草模様を入れた。中国には蛇は無くても、龍は多い。龍は、その原型は蛇だ。実は、インド文化圏のコブラの変形だという説もある。北方文化圏の人たちは、蛇を嫌って、胴体は蛇にするものの、想像で装った龍に入れ替えたという。熱い南方地方には蛇が多い。蛇を否むことができなければ、それと親しく付き合うのが、暮らしの知恵だ。北方はその必要性を感じなかったのかも知れない。

◆とはいえ、北方文化に南方的要素が入っていないわけではない。十二支には蛇が、12頭の動物の一つとして含まれている。十二支は、中国「商」(夏)末期の甲骨文字に初めて登場する。東アジア人は、今も十二支を生まれ年に使っている。聖書にも、ユダヤ人をエジプトの土地から連れ出したモーゼの杖には、蛇が巻かれていた。ギリシャ神話でも、ヘルメスの杖には、二つの蛇が取り巻いている。韓国の高句麗(コグリョ)壁画の四神図の玄武は、蛇が亀と絡み合っている形をしている。蛇は、北方文化圏の抑圧の中でもしぶとく生き延びた。今年は蛇年だ。グローバル文化時代において、蛇は相互の異なる文化を理解するいい象徴だ。

宋平仁(ソン・ピョンイン)論説委員 pisong@donga.com