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双龍車の復職

Posted January. 12, 2013 06:43,   

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「壊れた生活を再び立て直したいんです」

11日、電話機の向こうから聞こえてくる双龍(サンヨン)自動車の無給求職者・ノ某氏(52)の声は明るかった。彼は鬱陵島(ウルルンド)にいるという。宅配便の運転手やカーセンターの整備技師など、さまざまな職業を転々とした末、イカ漁漁船に乗り込むことになった。ノ氏は、昼間は駐車場で洗車をし、夜は仁川(インチョン)・蘇萊(ソレ)港で、出航する船に乗り込んで、徹夜でイカ漁をやっている。氏は、「09年8月以降、私の人生は壊れた」と主張した。

●3年7ヵ月間の長い待ち

ノ氏はソウルの双龍車・九老(クロ)整備事業所で22年間、整備技術者として働いた。豊かではなかったが、妻や一人娘と共に、3人家族が暮らすのに困難は無かった。しかし09年8月、構造調整で会社から追い出され、家族の生活は危機に置かれた。家族全員が金を稼がなければ食いつなぐことができなかった。20数年間、専業主婦として生きてきた彼の妻は、午前は飲食店の厨房で皿洗いをし、午後は保育所で補助教師として働いた。当時、大学生だった娘は、コーヒー専門店でバイトをしながら、自ら学費を稼がなければならなかった。

ノ氏は、「関連業界に就職しようとしても、『双龍車』というレッテルが貼られた私を受け入れてくるところなどなかった」と吐き出した。宅配の仕事を始めたときは、かつての職場がどこだったかを隠さなければならなかった。しかし彼は、いつかはかつての仕事場に復帰できるだろうという期待を手放さなかった。彼の3年7ヵ月間も待たされることになった。10日、彼に予期せぬうれしいニュースが聞こえてきた。「昨日、蘇萊港で出航の準備をしながら、復職のニュースを聞きました。寄せられた祝いの携帯メールだけでも50件は超えるはずです。うれしくて、午前3時まで眠ることができませんでした」。

しかし、ノ氏は、今回、会社に復帰できなかった同僚たちを考えると、気が重い。氏は、「無給休職者の復職は、皆苦痛を分かち合ったために可能だった」とし、「残された人たちが早いうちに復帰できるよう、がんばりたいと思う」と話した。

●解決しなければならない数々の課題

双龍車労使が無給休職者455人の全員の復職に合意したその翌日、平沢(ピョンテク)工場で会った組合員らは、「歓迎と懸念とが半分ずつ」という空気だった。

スポーツユーティリティビークル(SUV)「コランドC」を生産している組立1工場の組合員・イ某氏(31)は、「一緒に焼酎を飲むたびに、『私はいつになれば会社に戻ることができるでしょうか』と尋ねてくる同僚たちのため、心が痛かった」とし、「これからは軽い気持ちで同僚たちに会うことができる」と話した。

28年間、生産職で働いてきたイ某氏(55)は、「『自分ひとりだけが残ることになった』というすまない気持ちのため、遠ざかったかつての同僚たちに久々に電話をした」としながらも、「苦痛の分かち合いに共感するものの、人の受け入れを急いだあまり、再び経営が悪化し、第2の構造調整が再現するのではないか気にしている人たちもいる」と主張した。

早くも、双龍車は増えた生産人員をどのように配置すべきかをめぐり悩んでいる。平沢工場の稼働率は50%にも達していない。双龍車のキム・ギュハン組合委員長は、「来年末に1600cc級の小型SUVが発売されれば、年間10万台の生産台数が増えることになる」とし、「組合員たちは会社の正常化に力を合わせ、無給休職者だけでなく、1900人あまりの希望退職者らは、遅くとも2015年初頭までに会社に復帰できるよう努力したい」と覚悟を明らかにした。

政治の焦点となっている整理解雇者をめぐる問題は、双龍車労使にとっては大きな負担となっている。組合員のキム某氏は、「政治圏の一部から主張している国政調査の論理は話にならない」とし、「最高裁判所の判断まで下された事案をめぐり、これ以上あれやこれやと言い立てるのをやめ、われわれが早く立ち直ることができるよう支援してほしい」と声を高めた。

長い間、職場から離れていた無給休職者らも、負担を感じているのは同じだ。復職対象者のハン某氏(51)は、「復職できるのはうれしいが、構造調整の過程でプライドが大きく傷つけられたのも事実だ」と主張した。ハン氏はこの3年間、建設現場で日雇い労働者として働きながら、長女を大学に入学させた。氏は、「子供らに、父親の忍耐力を見せることができ、うれしい」としながらも、「会社への愛情を失った状況で、会社の人たちと微笑みながら働くことができるかどうか気になる」と本音を打ち明けた。



windup@donga.com