古代の碑石に刻まれた文字、すなわち碑文は古代人から時間を越えて私たちに送られた手紙だ。碑文を解読することは、文字はあったものの本に記録を残さなかった時代の人々の話を聞くことも同然だ。しかし、彼らと通信するにはバッファリングも発生する。碑文は、長い歳月を経て自然に風化したり、拓本を取る時に傷ついて読むことができなかったために曖昧な文字が存在するためだ。ここから捏造の余地が生まれる。
◆高句麗の長寿王が414年に建てた広開土大王陵碑の碑文に「倭以辛卯年来渡海破白残○○○羅以為臣民」という部分がある。日本人は、南淵書という偽造古書を作って陵碑写本全文というものを加えて○○○を「脅降新」とした。その場合「倭が辛卯年に海を渡って百済を破り、新羅を力で屈服させて臣民とした」という意味になる。日本の学者たちは、三文字を不明確として今もそのように解釈し、任那日本府説の根拠とした。
◆韓国の学者たちは、「渡海」の主語を倭ではなく文章にない高句麗と見て、「倭が辛卯年に到来すると、(高句麗が)海を渡って百済を破り、新羅を救って臣民にした」と解釈する。広開土大王陵碑の碑文は稀に見る名文だが、倭が辛卯年に海を渡って来たとすれば、「倭以辛卯年来渡海…」は「来」が抜けた「倭以辛卯年渡海…」になってこそ正しい文章になる。
◆昨年、広開土大王陵碑がある中国吉林省集安県で別の高句麗碑が発見された。中国側の公式の研究書は、広開土王が建てた現存する最古の高句麗碑だと主張した。長寿王が427年に建てたことを意味する「丁卯」という文字を判読したという内部の反論が起こる中、中国側の公式研究書を作成した学者たちはそのような文字は読めなかったと主張した。そして、集安高句麗碑は中国王朝との密接な影響関係から生まれたものであると強調した。日本人の広開土大王陵碑文の捏造を経験した韓国としては、東北工程を通じて高句麗史を中国史に編入しようとする中国が高句麗碑を歪曲するかも知れないという疑念を拭えない。
宋平仁(ソン・ピョンイン)論説委員pisong@donga.com