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アジアのアビニョンを夢見て

Posted July. 10, 2013 07:26,   

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先日、何人かの知人の前に地図を広げ、「居昌郡(コチャングン、慶尚南道)」を当てるように言った。ところが、一人も一気に当てることができなかった。私も、居昌に行ったのはわずか2度。2000年、白頭(ペクドゥ)大幹の取材の時と2年前がすべてだ。このように、旅行専門記者からすら背けられた居昌。「大韓民国の隅々」というスローガンの下に続けられてきた韓国政府の国民観光活性化の努力にもかかわらず、居昌は、未踏未知として残った旅先のひとつだ。

だからといって、居昌がたいした旅先ではないとは言えない。居昌ほど、「特別な」ところもない。毎年夏に行われる「居昌国際演劇祭」をさしてのことだ。たいしたところじゃない、という人もいるだろう。ここのほかにも、たくさんの場所でやっているのに。密陽(ミルヤン)や馬山(マサン、以上慶尚南道)、釜山(プサン)、全羅南道麗水(チョンラナムド・ヨス)や順川(スンチョン)、全羅北道全州(チョンラブクド・チョンジュ)などなど。しかし、それと似ているなら、わざわざ「特別」という言葉をつけることはできなかっただろう。「ススンデ」(居昌郡渭川面)の渓谷でキャンピングをする休みの客を観客に招く屋外舞台で、世界のいたるところの劇団が参加したということからだ。

2年前の7月下旬だった。友人の手に引かれて、ススンデの屋外舞台を訪れた。その日は、劇団・モクファが、「テンペスト」を舞台で演じていた。屋外公演会場で、それも渓谷の水辺だなんて、あまり期待はしなかった。舞台は粗悪で、照明などの環境もいいはずがないから。その上、到着したのは夕闇が降り始めた頃、直接劇場に向かったため、周辺の渓谷の景色など、目にできなかった。ところが、劇場の前に繰り広げられていた光景は、私を驚かせた。小学生まで家族連れが立ち並んで、屋外劇場に入る様子だった。屋外客席は、絶えずうちわで風を送りながら幕が上がるのを待っている家族連れの客で満席だった。私も一時、演劇をしたことがあり、演劇の世界についてはある程度知っているつもりだったが、このように客席が家族連れで埋め尽くされたのは、初めてだった。

ところが、驚きはこれが終わりではなかった。公演でも続いた。舞台は、照明の光に引かれ、飛んできた虫で騒然としており、仮面に扮装、衣装を備えた役者らが、蒸し暑い猛暑の中で、照明の光の洗礼まで受け、汗だらけのはず。にもかかわらず、演技は真剣であり、情熱は客席まで伝わってきた。演劇は、3つからなる。戯曲や役者、観客。戯曲は、舞台が屋内であれ屋外であれ、かまわない。しかし、観客や役者は違う。屋外では、打ち込む度合いや集中力が落ちる。観覧や演技ともに苦しみだ。それなら、屋外演劇の観客は減るべきだが、そうではない。日々増えつつあるばかりだ。この演劇祭の観覧客は、3年前に15万人を突破した。25回目の今年は、12ヵ国、51団体が、計200回も公演する。

驚きが、その翌日はススンデへと続いた。50平方メートルもある大きな亀岩を回って流れる綺麗な渓流が、濃い緑のうっそうとした森に包まれて、別世界をなしていた。また、水辺には書院が陣取っていた。山水を好むという儒教学者の悠々自適を漂わすその朝のススンデ。私は渓谷の綺麗な景色に感動した。さらに、渓谷を埋め尽くした原色のテントの波にもう一度驚いた。毎夜、屋外劇場を埋め尽くす観客が設置したのだ。彼らは、何日間もテントで野営をしながら、昼間は水遊びを楽しんでいる。そして、日が暮れると、家族連れで演劇を鑑賞する休みの客だ。このような香りの出る休暇文化が、韓国にもあることに、私は胸がいっぱいになった。

このような贅沢を、ここで可能にさせた人がいる。「演劇家のイ・ジョンイル」(58、居昌国際演劇祭執行委員長)氏や厳しい環境の中でも、25年間、舞台を守ってきたこの地の数え切れないほどの演劇関係者だ。そして、水を舞台に繰り広げる「100人のハムレット」を皮切りに、開幕(26日)の今年の演劇祭は、居昌中学校の30代の英語教師だったイ委員長が、山間部の生徒らに、演劇を体験させたいということで、劇団を立ち上げてからちょうど30年になる年だ。

居昌国際演劇祭は、イ委員長が屋外演劇祭の本場・アビニョン(フランス)に旅してきた後に企画し、1998年、ようやくここススンデを舞台に、今日に至っている。いまや、アジアのアビニョンへと跳躍するためにがんばっている。ところが、ここススンデでは力不足だ。空間が狭いからだ。われわれが望むのは、居昌郡全体へと舞台を拡大することだ。居昌のDNAになった演劇祭が、ここススンデを乗り越え、雄大に広がることを待ち望んでいる。年中演劇を楽しむことができるように。