中国の薄熙来元重慶市書記に対する裁判所の審理が26日に一段落し、求刑と判決だけを残した。中国当局は、今回の裁判を腐敗撲滅への政治的意志を示す場にしたかった。しかし、中国国民と世界に最高位権力層の「彼らだけの政治」の裏を見せる機会になった。
毛沢東が1957年に反右派闘争を通じて社会主義政治の骨格を築いたように、習近平体制が左派勢力を整理して権力基盤を固めようとしていることも目の当たりにした。今回の裁判を文化革命後の最大の政治的事件と規定したのもこのためだ。
まず、裁判が見せたのは、G2に浮上した中国の内面に腐った患部と恥部が多いという点だった。一時、最高指導部である共産党政治局常務委員の有力候補だった薄熙来は、腐敗と権力乱用容疑に対して、妻と部下職員にすべての責任を転嫁することに汲々とした。保身のために浮気をしたとか、妻と腹心が恋人関係だったという「自爆性暴露」も出てきた。息子は両親の力でスポンサーから専用機を提供され、アフリカで遊んだ。妻が息子のために、企業家から数十億ウォンを得て、他人名義でフランス・ニースに別荘を買った事実も公になった。妻は、党書記である夫の権力を背景に重慶市公安局幹部を思いのままに使い、国家権力を私有化した。
中国政府が裁判の透明性を強調したと言うが、約30年前の文化革命「四人組」の裁判(1981〜82年)にも及ばなかった。テレビ中継もなく、裁判所スポークスマンが毎日、記者会見したが、「微博」(中国版ツイッター)にすでに出た内容を読んだ。
裁判が開かれた山東省済南市は、裁判所の周辺だけでなく市内各地が統制され、裁判をするのかデモを鎮圧をするのか分からないほどだった。検察は、中央規律検査委員会など1年以上捜査したと言うが、関係者の証言のほかに1つの証拠品も提出できず、薄熙来の逆攻勢を受けた。
今回の事件で、薄熙来個人は家族と権力を失った。しかし、彼を断罪しようとした中国も、指導層の陰湿な不正構造が露になり、国家信頼度もダメージを受け、司法体系の透明性と公正性にも傷がついた。
中国は世界2位の経済力で、アジアはもとより国際秩序を新たに編成しようとしている。しかし、今回の裁判で見せた中国の姿は、世界の指導国になるにはまだ遠いということを雄弁に物語っただけだった。中国の規則は受け入れられないとうい言葉が出るのは、中国の責任が大きい。
中国が薄熙来裁判を通じて世界に見せたのは、中国が世界の普遍的基準にまだ達していないということだった。中国は薄熙来裁判で得たものよりも失ったもののほうがはるかに大きいようだ。