クリスマスプレゼントでもあるまいし、いつも12月になると北朝鮮からのニュースに驚かされる。2年前は金正日総書記の死亡と金正恩氏への権力継承だった。去年は長距離弾道ミサイルの発射成功。そして今年は張成沢氏の処刑に唖然とするしかない。この先、この国はどっちへ向いて走るのか。我々は息をこらして見なければなるまい。
ところが、である。そんな恐怖を一番身近に共有し、密接に連携していくべき韓国と日本が、首脳会談も開けぬまま、ついに年を越しそうである。安倍政権の誕生、そして朴槿恵大統領の当選からちょうど1年が過ぎたのに、何とも異常なことではないか。
しかも両国は先月、中国からも不意打ちを食らった。東シナ海上空での防空識別圏の設定である。主たる標的が日本にあるのは明らかだが、韓国も6月の朴槿恵大統領訪中でつくられた蜜月ムードに水を掛けられたのではないか。
実は、日本ではこの秋から中国の対日姿勢に軟化の兆しがあるとみて、安倍晋三首相らが期待をかけていた。「韓国はしばらく放っておいて、中国との関係改善に力をいれよう」という空気さえ漂っていたが、そんな思惑もはずれてしまった。
とすれば、いよいよ日韓は関係修復へ本気で動く時である。新たな年には首脳会談が開けるよう、互いに発想を切り替えることが肝心だ。
そのためには、朴大統領が日本に改善を求める歴史認識の問題と、ノドに刺さった最大のトゲというべき従軍慰安婦問題に区切りをつけなければなるまい。
どうすればいいか。
まず、歴史認識についてだが、安倍首相の言動には曲折があったにせよ、戦後50年にあたって過去の侵略と植民地支配を謝罪した村山富市首相の談話(1995年)を「現政権でも全体として継承していく」と国会で述べたのは重たい事実だ。朴大統領はそれを評価しつつ「変わりありませんよね」と安倍首相に念を押すことができる。
98年に日韓首脳がかわした「パートナーシップ共同宣言」を再確認するのもよい。そこでは小渕恵三首相が村山談話の表現を借りて韓国への植民地支配を明確に謝り、金大中大統領がそれを評価して和解の道を提起した。国家の最高指導者が交わした外交文書を、日本の首相が引き継がないとは言えまい。ただし、韓国もそれ以上、安倍氏の口から新たな謝罪を求めないことである。
次に、従軍慰安婦の問題である。これについても安倍発言に曲折はあったが、最近の国会では「筆舌に尽くし難い、つらい思いをされた方々を思うと非常に心が痛む」と語っている。政府の関与を認めて謝罪した93年の河野洋平官房長官談話についても継承の方針だ。
問題は、かつて日本に作られたアジア女性基金からの償い金を拒んだ慰安婦の方々に、新たに公金で補償するかどうかだろう。ここでは安倍首相が9月に国連で行った演説を思い出すのがよい。
安倍氏は「憤激すべきは、21世紀の今なお、武力紛争のもと、女性に対する性的暴力がやまない現実です」と力を込め、その予防や被害者救援に、まさに公金を使って支援することを約束した。
韓国では「慰安婦問題を無視しておいて、よくも」と、さんざんの評価だったが、ものは考えようである。むしろ、この演説をうまく活用して、こんな風に持ち掛けてはどうだろう。
「安倍さん、素晴らしい考えですね。大賛成です。でも、女性の性的被害の予防に乗り出すのなら、まずは過去の傷を抱えた身近な女性の心の治療から、一緒に片付けましょう」。こう提案されれば、安倍首相の心もきっと動くことだろう。断るようなら、安倍演説の価値は国際社会で地に落ちてしまう。
この問題は日韓の国内に両極端の強硬意見があって、解決を難しくしてきた。もはや、両政府が大局的な判断に立って打開に責任をもたない限り、解決の道は開けない。それでは、もはや一人、二人と消えていくハルモニたちに報いることができないばかりか、日韓の未来に大きな禍根を残すことになる。
1年半後には、国交正常化から50年を迎える。そこを目指して、こじれた糸をひとつずつほぐしてゆく。その出発点を作るのは両国の首脳をおいて外にない。
(若宮啓文 日本国際交流センター・シニアフェロー、前朝日新聞主筆)