映画「弁護人」の興行が猛烈だ。正式に封切られてから13日で動員数600万人を突破したという。年が変わっても、その勢いは止まらない様子だ。この傾向が続けば、1000万の達成も難しくなさそうだ。
映画は1980年代初め、釜山(プサン)のある税務弁護士が「釜山学林(釜林)事件」の弁護を担当したことで展開されるストーリーが背景だ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の弁護士時代を連想させる場面が随所に登場する。こうなると、政界の関係者らがじっとしているわけがない。特に、「盧武鉉の後光(威光)」を狙う汎野党陣営の人物が発した好評価が後を絶たない。
当時、釜林事件に巻き込まれた人は、「全斗煥(チョン・ドゥファン)政権時代に起こった拷問による容共操作事件だ」と主張している。後になってこの事件は民主化運動として認められたということだ。しかし、一部の保守陣営からは「容共操作事件ではない」と反発している。
今、この場で「弁護人」の背景になった釜林事件をめぐって真実を巡る攻防を繰り広げたくはない。ただし、弁護人ブームを眺める親盧(親盧武鉉)人物の考えに対して黙ってはいられない。
親盧の長兄格の民主党の文在寅(ムン・ジェイン)議員は、マスコミとのインタビューで、「大韓民国の民主主義はまだまだ先が遠い」とし、「釜林事件が発生した1980年代と比べて、今の手続き的、政治的民主主義に進展がない」と指摘した。国家情報院など国家機関の大統領選介入疑惑に対しては、「一種の工作だ」と語り慨嘆した。
文議員のメッセージは30年前と今の状況が殆ど変わっていないという話だ。朴槿惠(パク・クネ)政府が反民主的政権という民主党の政治攻勢と一致している。野党陣営は民主化勢力だから、根本的に「民主対反民主」フレームの戦争だ。そこで「野党陣営は善」で、「朴槿惠政府は悪」という図式が出来る。いわゆる野党陣営の古い民主化フレームだ。
親盧陣営が盧武鉉ブームを頼りにするからと言って非難することはない。政治集団なら、与党陣営が一時朴正煕(パク・ジョンヒ)マーケティングをしたように、政治マーケティングの一手法として活用できる。盧武鉉ブームは親盧勢力を政治的に復活させた動因(要因)だった。07年の大統領選敗北の直後、親盧は自らを廃族と称した。このような親盧が10年の地方選挙を契機に再起できた背景には、盧武鉉一周忌の後光(威光)があったことを否認できない。このおかげで12年、親盧は民主党を掌握することができた。
逆説的だが、親盧が復活する間、盧武鉉精神は姿を消した。野党陣営の連帯という目の前の政治的利害関係にこだわって、盧武鉉政府が重点的に推進した韓米自由貿易協定(FTA)、済州(チェジュ)海軍基地など、中核政策を覆すことの先頭に立った。盧武鉉政府時代、鉄道労組のストを不法ストだと非難した文在寅議員が今度はストを擁護する様子は政策の一貫性を欠いたものだ。野党陣営の周辺では「いったい誰が『元々の親盧』で、反盧、非盧であるか分からない」という自嘲混じりの声が漏れる。
親盧派は、この前の大統領選で「盧武鉉を越えよう」と叫んだ。親盧の垣根は強かったが、票の拡張性がない限界を実感したはずだ。しかし、自己刷新と改革には徹底に背を向けた。布団をかぶって万歳を叫ぶのと同じという批判が出てもおかしくない。
「弁護人」の興行突風は親盧派に明らかにもう一つの契機になるだろう。同時に危機でもある。10年経つと江山(山川)も変わると言われるのに、30年だと江山(山川)が3度も変わる歳月だ。30年が過ぎたのに、「新しい盧武鉉」を立たせるビジョンと戦略無しに、盧武鉉の垣根だけを守っていていいのだろうか。
憐憫や憤りだけで世間を変えることはできない。親盧は映画「弁護人」を越えてこそ生き残ることができる。もう年が変わった。