柿木は、東アジア温帯地域の特産種だ。欧米人らは、柿という果物に見慣れていない。わが国では、高麗(コリョ)時代から柿栽培が一般化した。東國李相國集には、「夏の𩒐中が送ってきた干し柿に謝礼する」という下りが出ている。慵齋叢話には、「(朝鮮の)太宗(テジョン)が、柿木を宮中に植え、その実を見物したが、カラスが来てついばんだため、弓のうまい人を探して、打つように指示した」という内容だった。その時、カラスに矢を当てた人は、当時の皇太子だった讓寧(ヤンニョン)大君だった。王は、普段から讓寧を気に入らず、長い間顔を合わせなかったが、その日、初めてにっこり笑ったという。
◆柿木は、家具を作る木材としても多く使われた。木質が硬い上、墨で絵を描いたような黒い柄があって、人気があった。柿木で作った手文庫やタンスなどの昔の家具をみれば、水墨画を思わせるまだら模様が、感嘆を誘う。特に、一枚の板を半分に切って、広げた時に現れる対称の模様がすばらしい。柿木に墨が染みこむのは、黒檀の木と親戚だからだ。
◆このような来歴のため、柿木は、温帯地方が原産だが、暖かい気候を好む。そのため、我々の先祖らは、柿ノ木のもう一つの親戚であり、寒さに強いマメガキの木に柿木を接木させた。マメガキの木には、柿を縮小させたような爪ぐらいの実が生る。国内で最も古いマメガキ接木の柿木は、慶北尚州市外南面素隱里 (キョンブク・サンジュシ・ウェナムミョン・ソウンリ)にある。この木の樹齢は530歳であり、朝鮮の成宗(ソンジョン)時代に接木されたものと見られる。
◆素隱里の柿木のある尚州は、わが国最大の干し柿産地だ。全国干し柿の60%が、ここから出荷される。今年は、干し柿の生産量が減り、価格が上昇し、農民らが泣きべそをかいている。昨秋、柿木に病気が大量に発生したためだ。ただでさえ、人たちの食性が欧米化しているのに、価格まで上がれば、干し柿販売まで減ると心配している。農民らは、「尚州干し柿」のブランドを守り、販売量を維持するため、利益減少まで覚悟しているという。長い冬の夜、好きな人たちの仲睦まじく話の花を咲かせながら、そっと凍らせた干し柿を食べるその味は、食べてみた人こそ知ることができる。
ムン・グォンモ消費者経済部次長 mikemoon@donga.com