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「ショートトラック皇帝」安賢洙の金、挫折を知らない闘魂の勝利

「ショートトラック皇帝」安賢洙の金、挫折を知らない闘魂の勝利

Posted February. 17, 2014 04:38,   

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韓国名は安賢洙(アン・ヒョンス)、ロシア名はビクトル・アン。15日、ソチ五輪ショートトラック男子1000メートル決勝に出場した彼は、1位に決勝戦を通過した後、冷たい氷の上にうつぶせになり、唇をつけた。彼の「氷上でのキス」に、ロシア観客らは歓声を上げたが、中継を見守っていた多くの韓国人らは胸苦しさを感じた。太極マークをつけて、トリノ五輪3冠王になってから、8年後、ロシア選手として金メダルを手にするまで。

安選手が愛する氷上は、その険しい旅路や心の苦しさに背を向けなかった。冬季五輪史上初に彼は、二国国籍で共に金メダルを獲得する業績を達成した。ウラジーミル・プーチン大統領の公式のフェイスブックにも、安選手が登場した。彼は、ロシアで史上初のショートトラックの金メダリストとして、一気に英雄に浮上した。

身長170センチ、体重65キロ、彼は、ほかの選手に比べて小さな体格や、選手としてはピークを超えた29歳の歳に、トリノに続き、ソチでも、自分との戦いに勝って、光り輝く実を手にした。16歳のとき、世界ジュニア選手権で優勝した彼は、06年、トリノ冬季五輪で3つの金メダルや1つの銅メダルを獲得し、ショートトラックの皇帝に浮上した。しかし、バンクーバー冬季五輪を2年後に控えた時点で、膝の負傷や所属チームだった城南(ソンナム)市役所が解散される試練に次々とぶつかった。国家代表の選考戦で落ち、選手生活を諦める危機に直面していた彼は、11年、見慣れないロシアに帰化した。好きだった運動を続けるために、オリンピックの舞台で再び立つために選択した道だった。彼は、1500メートルでの銅メダルに続き、金メダルを獲得し、物心両面から支援を受け、立ち直りを手助けしたロシアに恩返した。

彼の帰化は、朴槿恵(パク・クンへ)大統領への業務報告でも取り上げられるほど、韓国社会の熱い話題となっている。韓国氷上界の派閥戦いのいけにえか、それとも自分の夢のために国籍を変えたのか、帰化にまつわる誤解や真実は解明すべきだが、国籍問題に過度に拘る必要はない。国内でも、オリンピックのメダルの受賞の機会を広め、韓国選手の競技力向上を支援するため、カナダ出身のアイスホッケー選手や中国のショートトラック選手などが、迎え入れられ、活動している。わが国民は、ロシアユニフォームをまとった安選手に、熱い声援を送っている。

彼は、涙ぐましい努力で負傷から立ち直り、他人よりもっと早く走り、技術的に円熟な技を示した。嵐のように吹きまくった試練の前に挫けない闘魂の勝利だ。ショートトラックの皇帝の返り咲きに、大きな拍手を送る。