午前8時46分31秒。アメリカン航空の旅客機が世界貿易センタービル・ツインタワーの北棟に時速720キロの速度で衝突した。建物の94〜99階に突進し、旅客機の胴体は粉々になり、ジェット燃料によって火炎が巻き起こった。これが2001年9月11日、米ニューヨークのど真ん中で起こった9・11テロの悪夢の始まりだ。それから102分後の午前10時28分、北棟は崩壊した。
最初の衝突があった瞬間、40メートル離れたツインタワーの南棟にいた人々は何をしていたのか。人々は北棟の爆発音と衝撃波に驚き、席から立ち上がった。本能的に建物の外に出ようとエレベーターや階段に向かった。しかし、一部の人々はテレビをつけてニュースを見た。「事故は北棟だけだ」という報道を聞き、避難の必要はないと判断した。その人々の多くが、電話やモニターの前で迅速に動いて利益をあげる株トレーダーだった。さらに1階ロビーに避難した人々も、「ここは大丈夫です。オフィスに戻ってください。この建物は安全です」という警備員の言葉を聞き、オフィスに戻った。
警察署にも避難すべきかどうか尋ねる電話が殺到したが、状況を把握できない警察はどうすべきか返事ができなかった。迷った人々は「その場で待機してください」という言葉に従った。午前8時55分、世界貿易センタービルの火災安全副責任者のアナウンスが流れた。「南棟は避難する必要はありません。避難している人々は戻ってエレベーターでオフィスに戻ってください。繰り返します。南棟は安全です」。4分後、再び南棟でも「各階の状況によって」避難を告げるアナウンスが流れたが、すでにオフィスに戻った人々からは緊迫感が消えていた。その間16分28秒が浪費された。午前9時2分59秒。ユナイテッド航空の旅客機が時速872キロで南棟に突進し、77〜85階の9階にわたって斜めに建物にぶつかった。それから57分後の9時59分、南棟が北棟よりも先に崩壊した。
ニューヨーク市はこの事故の死亡者が2749人だと発表した。このうち147人は旅客機2機の乗務員と乗客で、412人は救助隊員だった。北棟が崩壊した時、約200人の消防隊員が建物の中にいた。南棟の崩壊から29分の時間があったが、北棟の消防隊員は避難せず救助作業を継続し、命を失った。
旅客機が衝突した階にいた600人余りはほぼ即死だった。残りの約1500人は旅客機が衝突した時は無事だったが、建物に閉じ込められて命を失った。言い換えれば、北棟で102分、南棟で57分の時間があった。その時間を適切に使っていたら、1500人のうち多くの人が生存できたということだ。
セウォル号沈没事故から1週間が経ち、ニューヨークタイムズ記者のジム・ドワイアーとケヴィン・フリンが書いた『9・11 生死を分けた102分〜崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』を再び手に取った。両記者は、9・11テロの生存者と目撃者にインタビューし、無線交信、電話メッセージ、肉声の証言、電子メールなどあらゆる資料を集めて、この日の朝に起きたおぞましい事件をパズルのように再構成した。そして憤った。この事件の元凶はテロ犯だが、建物の欠陥や政府機関の反目と分裂がさらなる被害を生んだかも知れない。セウォル号沈没の140分間もそのように記録されなければならない。記録して記憶し、反省することだけが、生き残って申し訳ないと思う大人たちがすべきことだ。