1987年10月、米ニューヨーク・マンハッタンのある豪華なホテルに、アルコア社(米国のアルミニウム会社)の新任最高経営者(CEO)が、期待で胸膨らませる投資家の前に登場した。「まず、この部屋の非常口を指摘しておきたい。火災や非常事態などの事故が起きれば、皆さんはあのドアに歩いて、建物を抜け出してください」。そして彼は会場の後方のドアを指差した。会場は冷ややかなムードになった。
「皆さんに労働者の安全について申し上げます。毎年アルコアでは多くの労働者が負傷し、労働日数を喪失します。私はアルコアを米国で最も安全な企業にする考えです」。最高の投資収益を上げるという演説を期待した投資家は、宴会が終わるやいなや走って出て行き、株を売った。
1年後、アルコアは創立以来最高の収益を上げた。年間純利益は5倍に上昇し、時価総額は270億ドル(約30兆ウォン)まで上がった。このCEOが後日、ブッシュ政府で財務長官を務めたポール・オニールだ。事故ゼロを目標にしたオニールの計画は、ヒッピーや社会主義者のそれではなかった。生産工程にあり得る問題の探求は工程の改善と品質向上につながった。生産ラインを止める権限を現場に与えると組織文化に変化が生まれ、生産性が向上した。安全は習慣の結果であることを彼は見抜いていたのだ。
世界屈指の金融会社であるモルガン・スタンレーは毎年職員を対象に避難訓練を実施した結果、9・11テロで全職員が安全に避難することができた。モルガン・スタンレーが例外的ケースというわけではない。米国とカナダは企業だけでなく、マンションでもしばしば消防訓練や避難訓練を行う。
最近カナダから帰国した主婦キム・スウンさんの経験談だ。「非常ベルが鳴って火災が起きたと思い、9階から子どもたちを連れて階段で下りました。消防訓練だと聞いて驚きました。しかし、隣人を見ると、簡単なカバンを持っていました。非常時に持ち出せるように重要な物を入れたカバンを玄関付近に置いているんです。中には歩くことが不自由な老人夫婦もいましたが、憤ることもなく、消防隊員に『サンキュー』と言って自宅に戻りました」。カナダでの生活に慣れた頃、彼女は非常ベルが鳴っても家から出てこない住民がいることを知った。韓国人と中国人だった。消防訓練だと言っても「忙しいのに煩わしい」と抗議する人の中に、韓国人である私もまちがいなく入っているだろう。
セウォル号惨事を機に、安全不感症が再び俎上に載せられている。国民が安全に鈍感な理由は、圧縮高度成長を経験し、過程よりも結果を重視する文化に慣れ、事故が起きても、「自分は大丈夫だろう」という根拠のない楽観主義がまん延しているためだ。セウォル号惨事はこのような事故がいつでも自分にも起こり得るという痛烈な警告を与えたが、問題は習慣が簡単には変わらないということだ。
安全は政府には規制であり、企業にはコストであり、国民には習慣だ。朴槿恵(パク・クンヘ)政府は規制を「がん細胞」だと言った。良い規制、悪い規制を区別する目もなかった。韓国企業は、収益が悪化すれば最初に安全コストを減らした。多くの企業がコスト削減のために安全整備、セキュリティ機能をアウトソーシングした。個人情報の流出は、韓国企業がコンピュータの安全にどれほど無関心であったかを露呈した。しかし最も難しいことは、人々の体に染みついた慣行を変えることだ。アリストテレスは、「人は物事を繰り返す存在である」と言った。安全のためのコストと時間を無視して生きてきた韓国人の習慣が簡単に変わるのか疑わしい。