「セウォル号の話はやめよう」。こう言って始まった食事やコーヒータイムは、いつもセウォル号の話で終わる。この1ヵ月間、悲しみと挫折、絶望と怒りの言葉を交わした。心の中の感情だけでなく、頭の中の考えも自分では統制できない時間が流れた。
「夜遅く帰宅し、疲れて寝ている小学生の娘の顔を見るだけで涙が出てくる。万感の思いが込み上げ、焼酎を探して1人で飲んだ」(40代半ば会社員)
「中間テスト期間、中学生の息子がのんきにテレビを見ていた。以前なら怒ったが、『ははは』と言って放っておいた。中学・高校生の学力が低下する『セウォル号世代』が生まれるだろう(苦笑)」(40代後半、大企業役員)
公務員、政府、大統領に対する批判の限界線はなくなった。むろん彼らが多くのことを招いた。インターネットのコメントを見て「ひどい」と思った表現が、友人、知人の口からも聞かれた。さらに強く相槌を打てない時は、沈黙することになる。40代女性の知人は偽物と判明した陰謀説を今でも信じ、「この参事は『大虐殺』だ」と言った。
50代の専門職の男性が、「世話する親も家族もいない大統領が国家に献身する政治家だと考えて支持してきた。信頼を捨てるにはまだ早い」と静かに話した。386(1980年代入学)が集まった場では、反応はなかった。「絶望的なリーダーシップ」、「叱責だけあって対策がない」、「盧武鉉(ノ・ムヒョン)だったら違っていただろうか」などの言葉に埋もれてしまった。
さらには「だから軍隊に行って来なければならない」と言う人もいた。最近、大統領に対して女性を卑下する発言をする北朝鮮当局が思い浮かぶ。酒の席の冗談まじりの冷笑と北朝鮮の低級な抽象が重なる、妙な時間が流れている。
話の最後は虚しい。沈没する船を目にしながら救助できない無能さを非難しながらも、「自分たちは何をどうすべきなのか」分からないためだ。「じっとしているな。街に飛び出せ」という主張が最善なのか。立ち直れないのに心を寄せる所がない。1997、1998年の国際通貨基金(IMF)管理体制の時は金でも貯めることができた。この心理的・精神的IMF状況では何をすべきなのか。
「私がセウォル号の船長なら違った行動をしただろうか。できなかっただろう」。数人の知人が自分を責めた。「私たち皆がセウォル号船長だ」という反省の言葉に影響を受けたのか。私は黙っていたが、心の中で返事をするためにこの文を書いている。
「そんなことを言うのはやめよう。『私は絶対にセウォル号の船長のように行動しない』と言おう。そう言ってこそ行動も変わる。それでこそ世の中が少しでも変わる」。最後まで船を守らなければならない本分を忘れ、下着姿で慌てて生き残ろうとするおぞましい場面が、決して自分の姿、自分たちの姿になってはならない。子どもたちにも「勉強しろ」と言おう。「船長の任務、リーダーの本分を忘れたこの凄惨な悲劇を見よ。生徒の本分に忠実であろう。勉強しよう。そうなってこそ『セウォル号の船長』にならない」。「死ぬことが怖くないか」。2010年、米国研修の時、20代前半のあどけない女性兵に尋ねた。「幼い時から父親がいつも『命をかけるだけの仕事をしていないなら、その人生は何の価値があるのか』と言っていた。命をかける価値のある仕事をしている。だから死は怖くない」。感銘を受けたが、私はこれまでそのような父親ではなかった。
数日前、初めて中学生の息子と「どう生きていくのか」について話し合った。共に語り、共に誓った。