京畿金浦市霞城面佳金里(キョンギ・ギムポシ・ガグムリ)の愛妓峰(エギボン)。丙子胡亂(ビョンジャホラン=朝鮮時代に清が朝鮮を侵略した戦争)の時、芸者の愛妓は、難を逃れる途中、平壌(ピョンヤン)観察使と生き別れをする。愛妓はここに住み着いた後、毎日、山の峰まで上り、女真族によって北のほうに連れて行かれた観察使を恋しがって、病気にかかり、死亡した。村人たちは、愛妓の遺言通り、彼女を峰の周辺に埋葬した。1966年、西部最前線を訪問した朴正熙(パク・チョンヒ)大統領がその由来を耳にし、「スッガッモリ峰」「154高地」とも呼ばれていたここを愛妓峰と名づけ、碑石まで立てた。
◆2010年12月21日午後6時半。愛妓峰の灯塔が再び明かりをつけた。2004年、南北将校級軍事会談の合意で、中止となっていた点灯が、6年ぶりに再開されたのだ。北朝鮮の延坪島(ヨンピョンド)への砲撃攻撃への対応のためだった。北朝鮮は、点灯前日、「反共和国の心理謀略戦」だと主張し、照準打撃を予告した。同日、大統領府では、李明博(イ・ミョンバク)大統領が主宰した晩餐会が行われていた。晩餐会直前、李大統領と金𨛗鎭(キム・グァンジン)国防部長官が、この問題について話し合う途中、金滉植(キム・ファンシク)首相を呼んで意見を聞いた。金首相は、「北朝鮮が脅かすからといって、予告していた行事を行わなければ、我々を見下すことになるだろう」と明らかにした。金首相は、点灯から1時間後、大統領に、「異常なし」のメモが伝わったのを目にし、ほっとしたという。
◆高さ18メートルの愛妓峰灯塔は、1971年に初めて作られた。灯塔の明かりは、20〜30キロも離れた開城(ケソン)でも見られるほど華やかであり、北朝鮮向け心理戦で大きな効果をあげた。今年は、海兵隊が安全上の理由で撤去した灯塔の跡地に、韓国キリスト教総連合会が、クリスマスツリーを立てる予定だったが、住民らの反対で白紙となった。金正日(キム・ジョンイル)が死亡した2011年と張成澤(チャン・ソンテク)が処刑された2013年も、愛妓峰の灯りは消えていた。
◆金聖在(キム・ソンジェ)元文化部長官は24日、北朝鮮の金養建(キム・ヤンゴン)統一戦線部長に会った席で、愛妓峰ツリーの点灯式が白紙となったことを切り出しながら、「状況が変ってきており、再び会話のきっかけを作るべきだ」と切り出した。金部長は、「私も同じ気持ちだ」と応えた。明かりの消えた愛妓峰を思えば、複雑な気持ちだが、南北関係が解決し、中止となっている離散家族の再会の道が開かれることを願う。
崔英勳(チェ・ヨンフン)論説委員 tao4@donga.com