1456年11月14日、世祖(セジョ)は王位に就いて2年目を迎え、執権に貢献した功臣とその子孫を招集した団合大会(会盟)を開いた。226人が集まった会盟で、参加者は銅の皿に入れられた血を分け飲み、世祖に忠誠を誓った。死亡した功臣は、その長男が代わりに参加した。世祖はその場で一種の忠誠誓約書「五功臣会盟軸」を作った。これには、8メートルにものぼる巨大な巻き物に世子や王族、功臣など157人の署名がぎっしりと書かれている。この「五功臣会盟軸」は、朝鮮時代の署名研究者の間で宝庫とされる。
韓国学中央研究院の蔵書閣は8日、全州李氏の長川君・李普生の子孫から「五功臣会盟軸」を最近寄託されたと明らかにした。
これを見ると、この時代の署名は、名前の漢字を分けて書く方法が多く使われていた。例えば、譲寧(ヤンニョン)大君は、名前の「褆」を「衣」と「是」に分けて上下に並べて書いた。孝寧(ヒョリョン)大君も、名前の「補」を「衣」と「甫」に分けて署名した。当時の権力者たちが集まって署名した「五功臣会盟軸」に、世祖の最側近だった韓明澮(ハン・ミョンフェ)の署名がないことは興味深い。主君と周囲の人々の目を気にする必要がないほど権力が強大だった証拠という分析もある。
参加者の中には、後に徳宗に追尊された世子、李鉖(イ・ジャン)をはじめ、功臣の鄭麟趾(チョン・インジ)、申叔舟(シン・スクチュ)、)権(クォン)ラムなどが含まれていた。世祖が200人余りの王族や功臣を総動員して一種の政治イベントを行ったのには、それだけの理由があった。会盟を計画した当時は、甥の端宗(タンジョン)を追放し、金宗瑞(キム・ジョンソ)、皇甫仁(ファン・ボイン)など反対勢力を粛清した世祖に対する非難世論が激しかった。
韓国学中央研究院国学資料研究室のキム・ハクス室長は、「信じて頼れる親衛勢力を糾合して政権を守らなければならないという世祖の危機意識が『五功臣会盟軸』に反映され、忠誠署名まで書かせた」と指摘した。
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