「任那日本府説」とは、4〜6世紀に倭が韓半島南部の任那(金官伽倻)に統治機構を設置して治めたという学説だ。8世紀の日本の歴史書「日本書紀」によると、神功皇后が369年に任那を占領して実質統治し、562年に新羅によって滅亡したということだ。京城帝国大学の歴史学者、末松保和が主張し、植民地支配の歴史的正当性を与える役割をした。
◆日本書紀に「任那」という言葉が200回ほど登場することから、伽倻に倭が一定の勢力を形成していたことを否定することは難しい。問題はその性格だ。韓日の学者は、任那日本府を「伽倻に居住する倭の居留民団代表」だとか「大和政権との貿易と交流を仲介する機構」と見る。存在期間も200年ではなく15〜30年。「金伽倻」という別名を持つ伽倻専門の弘益(ホンイク)大学の金泰植(キム・テシク)教授は、「伽倻国の特殊な外務官署と見る。明らかな点は、血統がどこであれ任那日本府が倭ではなく、阿羅伽倻王のために働いたということだ」と指摘した。
◆韓日歴史共同研究委員会は、2年6ヵ月間研究を行い、2010年に発表した最終報告書で、韓半島に外国の領土が存在したとか、外国が韓半島で大々的な軍事活動を展開したという任那日本府説を再検討・訂正する必要があり、任那日本府という用語も不適切だということで意見が一致した。韓日間の歴史に対する認識の隔たりにもかかわらず、この部分だけは合意したわけだ。
◆日本が東京国立博物館所蔵の三国時代の23の遺物のうち「単龍文環頭大刀残欠」など8つの出土地域の表記を「韓国昌寧」から「任那」に変えたとあるメディアが報道すると、日本文化庁が「1936年に重要文化財に指定した当時から『任那』と書いてきた」と説明した。それならば幸いだが、安倍晋三首相の歪んだ歴史認識が古代史まで拡大するのではないかという憂慮が残る。「任那」とは、古代日本が韓半島の南部、特に現在の晋州を呼んだ名称だが、韓国では植民史観の象徴と記憶されていることを日本は知らなければならない。
鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員shchung@donga.com
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