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[オピニオン]歴史を変えた「5月の風」

[オピニオン]歴史を変えた「5月の風」

Posted May. 04, 2015 07:22,   

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中国の山東省青島には、赤い屋根の欧州風の建物が多い。過去、ドイツの租借地だった辛い歴史の跡だ。ドイツ式青島ビールが有名なのもそのためだ。この都市のランドマークの1つが、5・4広場にある「5月の風」だ。燃え盛る松明を芸術的に形象化した高さ30メートル、直径27メートルの造形物だ。青島が中国の反帝国主義闘争で一線を画した5・4運動の発生地であることを想起させるために作られた。韓国人観光客の記念写真にもしばしば登場する。

◆1919年5月4日、北京の天安門広場に約3000人の学生が集まった。第1次世界大戦(1914〜1918)の戦勝国がパリ講和会議で、戦争前にドイツが持っていた利権を分配し、日本の「21か条の要求」を受け入れたため、青島など山東半島の主権を中国が取り戻せなくなったことに抗議するデモだった。憤った学生たちは「青島を返還せよ」と要求して街に出た。商人や労働者も積極的に加勢した。2ヵ月間、22省、約200都市を揺るがしたデモは、社会主義を広める契機になった。

◆「朝鮮は独立を求め、独立できなければ死ぬと言った」。当時、北京の学生たちは宣言文で、5・4運動を2ヵ月前に起こった韓国の3・1運動にたとえた。後日、中国共産党の創党を主導した陳独秀らが作った「毎週評論」は、3・1運動を伝え、朝鮮の独立運動が中国人民を揺るがした最大の事件だと評した。韓国では、日本の3・1運動弾圧を避けて中国に渡り、5・4運動に合流した人もいた。

◆「その日は、いつもと違って快晴で、風もなく、北京の名物であるほこりも立たなかった」。歴史書に記録された5・4運動当日の天気だ。嵐の前の静けさだったわけだ。1世紀が経った今、北東アジアは日本のために再び風向計が揺れようとしている。韓米日の国力と力学関係が変わったが、3国の平和共存はどれほど歳月が経てば可能なのか。5月の風の中で「今日の歴史」を振り返ると気が重い。

韓起興(ハン・ギフン)論説委員 eligius@donga.com



eligius@donga.com