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金泳三元大統領が死去、葬式は初の国家葬

金泳三元大統領が死去、葬式は初の国家葬

Posted November. 23, 2015 08:55,   

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大韓民国の民主化を先導し、第14代大統領を務めた金泳三(キム・ヨンサム)氏が22日、死去した。享年88歳。金泳三氏が死去したことで「両金」時代も幕を下ろした。

30年余りの間、野党の指導者として独裁に対抗した巨木も、歳月と病魔には勝てなかった。19日、高熱でソウル鍾路区(チョンロク)のソウル大学病院に入院した金泳三氏は、敗血症と急性心不全のため集中治療室で治療を受けたが、22日午前0時22分、息を引き取った。病室では、次男の金賢哲(キム・ヒョンチョル)氏ら家族が看取った。

東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議に出席するためにマレーシアのクアラルンプールを訪れている朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は、金泳三氏の訃報を聞き、「深い哀悼の意を表し、故人のご冥福をお祈りします」と述べたと、鄭然国(チョン・ヨングク)大統領府報道官が伝えた。また朴大統領は、「政府は関連法と遺族の考えを考慮し、礼節を持って葬儀を準備する」と述べた。朴大統領は23日に帰国し、弔問する予定だ。

政府は臨時閣議を開き、金泳三氏の葬儀を国家葬で執り行うことを決めた。政府の代表焼香所は国会議事堂に設置され、告別式は26日午後2時に行われる。告別式の後、ソウル銅雀区(トンジャクク)の国立ソウル顕忠院(ヒョンチュンウォン)に埋葬される。22日、与党セヌリ党の金武星(キム・ムソン)代表や野党新政治民主連合の文在寅(ムン・ジェイン)代表、黄教安(ファン・ギョアン)首相、李明博(イ・ミョンバク)前大統領、金守漢(キム・スハン)元国会議長などが弔問に訪れた。崔炯佑(チェ・ヒョンウ)元内務部長官や金徳龍(キム・ドクリョン)元政務第1長官など上道洞(サンドドン)系だった人々や一般の市民も弔問した。

1927年に慶尚南道巨済(キョンサンナムド・コジェ)で生まれた金泳三氏は、1954年に26歳の最年少で国会に足を踏み入れ、歴代最多の9回、当選を果たした。金泳三氏は2009年に死去した金大中(キム・デジュン)元大統領と時には協力し、時には競って軍事独裁を終息させた。金泳三氏は新軍部に対抗して2度自宅軟禁に遭い、23日間命をかけてハンストもした。

金泳三氏は1992年12月に大統領選で勝利し、文民時代を開いた。大統領在任中に、軍の私組織「一心会」の清算をはじめ金融実名制の実施や高級公職者の財産公開、経済協力開発機構(OECD)加盟、「5・18特別法」制定をはじめとする歴史の建て直しなど改革を主導したと評価される。一方、退任直前の1997年に通貨危機を迎え、国政介入問題を起こした金賢哲(キム・ヒョンチョル)氏が拘束されるなど、汚点も残した。



will71@donga.com