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日帝の大韓帝国侵略の中心人物、伊藤博文の位牌があった「博文寺」

日帝の大韓帝国侵略の中心人物、伊藤博文の位牌があった「博文寺」

Posted January. 22, 2016 08:11,   

Updated January. 22, 2016 08:50

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博文寺(パクムンサ)は、伊藤博文(1841~1909)のために作られた寺だ。伊藤博文を韓国語の漢字音で読んだ「伊藤博文(イドゥン・パクムン)」から寺が名前をつけられた。

日帝は大韓帝国を併合した後、1919年に高宗(コジョン)が建てた祭壇(奨忠壇)を壊してここに公園をつくった。1932年には、奨忠壇公園の東側に、初代統監を務め、日韓併合に功労が大きい伊藤博文を称える日本曹洞宗系の寺院、博文寺が建てられた。

寺院の位置はソウル中区東湖路(チュンク・トホロ)で、今の新羅(シンラ)ホテルの場所とほぼ一致する。正門と本堂が、現在の新羅ホテルの迎賓館にあたる。新羅ホテルの迎賓館の近くにある新羅免税店など韓国式家屋ホテルの建設推進地域も博文寺跡にある。

博文寺は、落成式に当時朝鮮総督だった宇垣一成ら有力者1000人余りが参加するなど、朝鮮総督府が管理する寺院だった。1945年光復(植民地支配からの解放)とともに建物はすべて解体されたが、階段や1930年代の車両通行路などは新羅ホテル内に残っている。

あるホテル業界関係者は、「すでに建物もなくなった伊藤博文追悼寺院のためにホテルを建てられなくすることは、容易に理解されない」と話した。



박재명 パク・ジェミョン記者 기자jmpark@donga.com