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1945年、米国はなぜ中国の共産化を止められなかったのか

1945年、米国はなぜ中国の共産化を止められなかったのか

Posted March. 19, 2016 07:08,   

Updated March. 19, 2016 07:17

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良く敵の敵は友人と言う。だが、同床異夢の友人が何人もいると、話は変わってくる。親しい友人でも、3人で旅に出ると一人は仲間外れになりがちになるのと同じようにだ。1945年第二次世界大戦末期の中国大陸の情勢もそうだった。ここで曖昧な(?)な友達は二次大戦を通して共通の敵である日本に立ち向かって戦った中国共産党とソビエト政府だ。

この本は、日本の敗色が濃厚だった1945年の中国の共産党と国民党、ソビエト政府を相手に複雑なチェスを指さなければならなかった米国の対応を詳しく追跡している。中国史を専攻し、中国特派員を経験した著者は、1945年当時、米中ソの動きが、その後の数十年にわたる米中対立の根になったと主張する。

第二次大戦直後、米国を襲ったマッカーシズムの狂風は、対中外交政策においてイデオローグたちの勢力を伸ばす結果をもたらした。実利的でバランスの取れた大衆政策が効き難い構造だったのだ。最も生々しい例が、パトリック・ジェイ・ハーリー駐中国大使と配下の外交官との葛藤だ。ルーズベルト大統領の全幅的な支持を受けていたハーリー氏は、中国共産党に対する不信感に満ちていた。

一方で、駐中国大使館に派遣されていた国務省の外交官たちは、中国語に優れ、共産党関係者たちと頻繁に交流した中国通だった。彼らは、日本を早く撃退するためには中国人民たちに支持されている共産党にも軍事物資を支援するべきだと主張し、ハーリー大使と対立した。結局、ハーリー大使の強いけん制で、彼らは皆中国を去らざるを得なくなり、中国共産党は米国に対する不信を強めた。

だが著者は、この部分で国務省のハト派の状況認識も厳しく批判している。彼らは、毛沢東と共産党に対して幻想を持っていたという。著者は、「中国通の外交専門家たちは、共産党が国民党に公民権の尊重を要求したその瞬間も、反対派を弾圧していたことに全く気付いていなかった」と指摘する。

ならば、この時期の米国が中国共産党を徹底的に封じ込めて、国民党への支援をさらに拡大したなら、共産化を阻止できただろうか。著者は、社会主義革命思想に心酔した毛沢東が権座にいる限り、米国の努力は徒労に終わっただろう言い切った。とくに1945年8月、米国の要請によるソ連の満州攻撃は毛沢東がスターリンと連合する決定的な契機になったと解釈した。



김상운 キム・サンウン記者 기자sukim@donga.com