自動車業界によると、現在、エランの保有者は約500人弱と試算される。エランは、1996年の発売から3年後の1999年に生産が打ち切られた。1997年に起亜自が法廷管理に入るなど、メーカーの経営悪化が影響を及ぼした。何よりも当時、スポーツカーを巡る韓国国内消費者の認識が足りなかった。特に韓国産スポーツカーへの信頼性が低かった。エランは停止状態から時速100キロに至るまでにかかる時間(ゼロバック)が7.4秒で、有名スポーツカーに後れをとった。サイズは中型車より小さいのに、価格は韓国産中型車価格の2倍だった。
21年後である2017年、起亜自動は、北米国際オートショー(デトロイトモーターショー)で、スポーツセダン「スティンガー」を公開した。スティンガーはスポーツセダンではあるが、性能は大幅に進化した。
加速力を示す最大トルクは19.0kg・m(エラン)から52.0kg・m(スティンガー)へと、3倍近くも大きくなった。スティンガーのゼロバックは5.1秒で、エランより2.3秒も速くなった。現代起亜(ヒョンデ・キア)自の生産車両の中では最も速い。海外複数の自動車メディアは、スティンガーはBMW3シリーズやメルセデスベンツのC-クラスなどと競争できるだろうと見込んでいる。それだけ韓国国産車の技術力が進化したことを意味する。
エランからスティンガーに至るまでの間、少なからぬ車が韓国製スポーツカーという名で発売された。華やかな修飾語とともに誕生したが、花道だけを走ってきたわけではない。名ばかりのスポーツカーだとあざ笑われたことも少なくなかった。実はこれまで、スポーツカーという名で出てきた韓国国産車を真の意味でのスポーツカーとみなすのは難しい、ということが自動車業界の意見だ。
フェラーリのようなスポーツカーを作るには、韓国国内自動車メーカー各社の技術力が足りなかったのも事実。また、韓国内ではスポーツカーが走るには渋滞区間が多すぎて、スポーツカーを開発するだけの誘因が足りなかったのが現状だ。そのため最近、韓国内メーカー各社は、中型車のデザインをすらりとした形に変え、エンジン性能を向上させたスポーツセダンの形で市場を攻略している。スティンガーと昨年10月に現代自動車のジェネシスが発売したG80スポーツが代表的といえる。
スポーツセダンの元祖と言われるのは、現代自が1990年に発売したスクープだ。1988年のソウルオリンピックを前後にして、韓国内でもスポーツやレジャーを楽しむ人口が増えた。若年層を中心に「スポーティーカー(Sporty Car)」への関心が増えた。こんな状況の中、現代自は、伝統的セダンスタイルのみだった車種に、クーペ型新車種を作ることを決めた。スクープはゼロバック10秒の壁を破った初の韓国産車だ。
6年後である1996年、エランより3か月前に発売された現代自のティブロンは、「韓国内初のスポーツカー」という修飾語がついた。何よりも、曲線美を生かしたデザインとサメの愛称で呼ばれた前面部の形が、外国映画の中のスポーツカーを連想させて話題となった。現代車は2001年、新しいなスポーツカー「トゥスカニ」を発売した。トゥスカニは、韓国内初の手動6段変速機と当時は韓国内では最大サイズだった17インチのアルミホイール、デュアルマフラーなど、スポーツカー専用仕様が大幅に適用された。韓国内自動車メーカーでは、「スポーツカー」という名を使った車は、トゥスカニが事実上最後だった。
その後に出てきた複数の車は、従来のモデルをスポーツクーペに変形させたものだった。もちろん性能は、スポーツカーにより近づいた。2008年に発売されたジェネシスクーペは、後輪駆動や排気量3800ccのエンジン、6.5秒のゼロバックなどで、これまでのいかなる韓国産車よりも、ダイナミックな走行感を与えた。2012年、「ザ・ニュージェネシスクーペ」の力はさらに強くなった。スポーツセダン分野で、韓国内メーカー各社がグローバル企業と競争できるという認識を植え付けた車でもある。フォルテク―プやK3クープ、アバンテクーペ、アバンテスポーツのような準中型車をクーペ型に改良した車が次々と出てきて、スポーツセダンの大衆化に貢献した。
韓友信 hanwshin@donga.com