慰安婦被害者34人の選択はニュースにならないのか
Posted January. 19, 2017 14:43,
Updated January. 19, 2017 14:59
慰安婦被害者34人の選択はニュースにならないのか.
January. 19, 2017 14:43.
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朴槿恵政権の対日政策基調は,政権初期に雪解けムードを見せ,政権末期に原点に戻るというジェットコースター式の対日政策から脱するというものであった。そのため,政権発足当初から最大の難題である日本軍慰安婦問題の解決を日韓首脳会談の前提として持ち出すという順序が逆のカードを切り,3年近くを持ちこたえた。その出口が,2015年12月28日の慰安婦合意だ。しかし,結果的には現政権も過去のパターンから抜け出すことには失敗したようだ。慰安婦合意が抵抗を受けており,両国の対立が再発したためだ。記者は,日韓政府の合意によって設立した「和解・癒やし財団」の理事であることを改めて明らかにする。昨年7月に理事に就任した後,「私が非難される慰安婦財団の理事になった理由」というコラム(2016年8月1日付)で,「不可能な最善」よりは「可能な次善」を支持すると述べ,その所信に変わりはない。記者個人の所信など大した問題ではないだろう。日韓関係を左右する重要な要素の一つはメディアだが,最近の慰安婦問題に関する一部メディアの報道姿勢に違和感を感じていることを指摘したい。韓国メディアは,解放後に数多くの聖域を打ち壊しながら成長してきた。今は,如何なる権力機関,如何なる職域,如何なる国家の批判も,少しも躊躇することなく行う。しかし,最後に残された「聖域」がある。日本関連の報道である。日本関連の報道でメディアは相変らず国民感情から自由でない。だが,反日,克日(日本の克服)を越えて,用日(日本の利用)と協日(日本との協力)を唱えていたメディアが,最近あまりにも簡単に反日へと回帰しているように思う。このような主張をすれば,非難を覚悟しなければならない。明確に述べるが,日本政府と政治家らの誤った主張,慰安婦合意の過程で不足していた点についての批判などには記者も同意する。国民情緒も尊重する。記者が注目するのは,韓国メディアが報道したことではなく,報道していないことに関してだ。日本関連の報道においても,メディアは「感情的な選手」ではなく「冷静な審判」になってこそ,国内外から信頼を得て,究極的にはそれが国益になると信じているからだ。このような問題はどうか。慰安婦合意当時,生存する慰安婦被害者は46人だった。そのうち34人が,「和解・癒やし財団」が賠償金の性格で支給する1億ウォンを受け取ると申請し,このうち31人は,二回に分けて既に全額を受け取った。予想より多い数字であり,意味がある。ところが,このプレスリリースは冷遇された。国民の情緒にそぐわないため,記事を書きたくないという記者もいた。合意を拒否する被害者や団体の意見も重要だが,悩んだ末に異なる決定を下した被害者らの選択も尊重されて然るべきではないのか。10億円で少女像を売り飛ばしたという主張もそうだ。韓国政府は,日本政府による謝罪のしるしとして,わずか1円でも「日本の予算」を受け取ることを望み,その結果が10億円となったに過ぎない。それにも関わらず,日本政府が10億円と少女像撤去を結びつけるという本末転倒な主張をするならば,日本政府を批判するべきであり,韓国政府を追及する話ではない。慰安婦少女像は,他の場所であればどこであろうと問題ないが,他国の公館前に立てるというのは国際条約上の問題であるという点も明確に指摘しなければならない。最終的,不可逆的解決というのは,政府間の約束であるだけで,民間団体まで拘束する根拠はないということも知らせるべきだ。大統領選挙の有力候補者が,慰安婦合意を破棄するならば,どのような方法でそれ以上の成果を獲得するかについて問うて然るべきだ。最近の社説やコラムなどは,こうした見方を示しているものの,事実を忠実に伝えなければならない報道は,むしろ消極的だ。一部では慰安婦合意を屈辱的な外交惨事だと言っている。中国は,THAADの配備決定を撤回しろと言い,まさに今,安保問題について内政干渉までして韓国の屈服を強要している。中国が朝貢を受けていた時代に行っていた振る舞いだ。それでも,在韓中国大使館前にTHAADの模型をたてて抗議しようという主張も,団体もない。何か変ではないか。日韓問題を報道する韓国メディアが双方への非難に陥っていると批判し,日本の態度をより一層叱責しなければならないという知人もいる。国民の情緒から自由でない韓国メディアが,双方への非難までできるようになったのも,進展と言えば進展というのが記者の平素の考えである。30年前には試みることさえできなかったことである。韓国はもう日本の従属変数ではない。日本の変化にだけ命をかける理由もない。日本だけを叱責して国内的評価に満足していた報道スタイルは,解放後に韓国メディアが70年間歩いてきた安易な道である。安易な報道では日韓関係を変えることができなかった。沈揆先 ksshim@donga.com
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朴槿恵政権の対日政策基調は,政権初期に雪解けムードを見せ,政権末期に原点に戻るというジェットコースター式の対日政策から脱するというものであった。そのため,政権発足当初から最大の難題である日本軍慰安婦問題の解決を日韓首脳会談の前提として持ち出すという順序が逆のカードを切り,3年近くを持ちこたえた。その出口が,2015年12月28日の慰安婦合意だ。しかし,結果的には現政権も過去のパターンから抜け出すことには失敗したようだ。慰安婦合意が抵抗を受けており,両国の対立が再発したためだ。
記者は,日韓政府の合意によって設立した「和解・癒やし財団」の理事であることを改めて明らかにする。昨年7月に理事に就任した後,「私が非難される慰安婦財団の理事になった理由」というコラム(2016年8月1日付)で,「不可能な最善」よりは「可能な次善」を支持すると述べ,その所信に変わりはない。
記者個人の所信など大した問題ではないだろう。日韓関係を左右する重要な要素の一つはメディアだが,最近の慰安婦問題に関する一部メディアの報道姿勢に違和感を感じていることを指摘したい。韓国メディアは,解放後に数多くの聖域を打ち壊しながら成長してきた。今は,如何なる権力機関,如何なる職域,如何なる国家の批判も,少しも躊躇することなく行う。しかし,最後に残された「聖域」がある。日本関連の報道である。日本関連の報道でメディアは相変らず国民感情から自由でない。だが,反日,克日(日本の克服)を越えて,用日(日本の利用)と協日(日本との協力)を唱えていたメディアが,最近あまりにも簡単に反日へと回帰しているように思う。
このような主張をすれば,非難を覚悟しなければならない。明確に述べるが,日本政府と政治家らの誤った主張,慰安婦合意の過程で不足していた点についての批判などには記者も同意する。国民情緒も尊重する。記者が注目するのは,韓国メディアが報道したことではなく,報道していないことに関してだ。日本関連の報道においても,メディアは「感情的な選手」ではなく「冷静な審判」になってこそ,国内外から信頼を得て,究極的にはそれが国益になると信じているからだ。
このような問題はどうか。慰安婦合意当時,生存する慰安婦被害者は46人だった。そのうち34人が,「和解・癒やし財団」が賠償金の性格で支給する1億ウォンを受け取ると申請し,このうち31人は,二回に分けて既に全額を受け取った。予想より多い数字であり,意味がある。ところが,このプレスリリースは冷遇された。国民の情緒にそぐわないため,記事を書きたくないという記者もいた。合意を拒否する被害者や団体の意見も重要だが,悩んだ末に異なる決定を下した被害者らの選択も尊重されて然るべきではないのか。
10億円で少女像を売り飛ばしたという主張もそうだ。韓国政府は,日本政府による謝罪のしるしとして,わずか1円でも「日本の予算」を受け取ることを望み,その結果が10億円となったに過ぎない。それにも関わらず,日本政府が10億円と少女像撤去を結びつけるという本末転倒な主張をするならば,日本政府を批判するべきであり,韓国政府を追及する話ではない。慰安婦少女像は,他の場所であればどこであろうと問題ないが,他国の公館前に立てるというのは国際条約上の問題であるという点も明確に指摘しなければならない。最終的,不可逆的解決というのは,政府間の約束であるだけで,民間団体まで拘束する根拠はないということも知らせるべきだ。大統領選挙の有力候補者が,慰安婦合意を破棄するならば,どのような方法でそれ以上の成果を獲得するかについて問うて然るべきだ。最近の社説やコラムなどは,こうした見方を示しているものの,事実を忠実に伝えなければならない報道は,むしろ消極的だ。
一部では慰安婦合意を屈辱的な外交惨事だと言っている。中国は,THAADの配備決定を撤回しろと言い,まさに今,安保問題について内政干渉までして韓国の屈服を強要している。中国が朝貢を受けていた時代に行っていた振る舞いだ。それでも,在韓中国大使館前にTHAADの模型をたてて抗議しようという主張も,団体もない。何か変ではないか。
日韓問題を報道する韓国メディアが双方への非難に陥っていると批判し,日本の態度をより一層叱責しなければならないという知人もいる。国民の情緒から自由でない韓国メディアが,双方への非難までできるようになったのも,進展と言えば進展というのが記者の平素の考えである。30年前には試みることさえできなかったことである。韓国はもう日本の従属変数ではない。日本の変化にだけ命をかける理由もない。日本だけを叱責して国内的評価に満足していた報道スタイルは,解放後に韓国メディアが70年間歩いてきた安易な道である。安易な報道では日韓関係を変えることができなかった。
沈揆先 ksshim@donga.com
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