国立慶州博物館は、2015年、百済歴史遺跡地区のユネスコ世界文化遺産への登録を記念して、「世界遺産百済」の特別展を披露している。新羅の長年の宿敵だった百済を、徐羅伐(ソラボル、現在の慶州)で再照明する意義深い試みだ。
今回の展示では、百済の熊津(ウンジン、現在の公州)への遷都(475年)から始め、泗沘(サビ、現在の扶餘)遷都(538年)と滅亡(660年)、そして復興運動(663年)まで、波乱万丈だった百済の200年の歴史を扱う。これに先立って、ソウル国立中央博物館で開かれた百済特別展が、都城や寺院、陵墓をテーマにしたなら、慶州博物館は、公州、扶餘(ブヨ)、益山(イクサン)の百済遺跡8カ所に焦点を合わせた。特に、新羅の王京で開かれる展示の特性を考慮して、百済と新羅の文物を比較するコーナーを設けた。
百済と新羅の文物交流の代表例は、643年、新羅の巨刹「皇龍寺(ファンリョンジ)」の建築に、百済の職人「阿比(アビ)」が参加したことだ。これは、872年の皇龍寺修復時に記録した「皇龍寺刹柱本記」で確認できる。皇龍寺の跡地から出土された7世紀の瓦を通して、百済様式の影響を調べることもできる。また、三国統一直後に製作された慶尚北道漆谷(キョンサンブクド・チルゴク)にある松林寺(ソンリムサ)塼塔で出土された装飾品は、百済の銀花冠飾をモチーフにしたものだ。7世紀、百済の武王が「薯童(ソドン)」だった時代、新羅の善花(ソンファ)姫と恋をしたという、三国遺事のエピソードも、両国交流を象徴的に示している。
展示では、慶州皇龍寺から出土された金銅帯飾り、皇南大塚の金イヤリングなどや益山彌勒寺(ミルクサ)の跡地から出土されたガラスびん、武寧王陵の冠飾、玉装飾などを比較できる。5月7日まで。お問い合わせは054-740-7535まで。
金相雲 sukim@donga.com