「罪名はらい病人…/これはなんてとんでもない罰でしょう」(罰・1973年)
ハンセン病という天刑の悲しみを詩で吐露し生きた詩人韓何雲(ハン・ハウン、本名は韓泰永・1920〜1975・写真)の人生と文学世界を深く照明した本「振り返る韓何雲の人生と文学:ハンセン病と左翼、二重の排除を超える生の歌」(ソミョン出版)が最近出版された。
仁川富平区(インチョン・プピョング)にある富平歴史博物館で、詩人に関する研究資料を集めて本にまとめたものだ。仁川は、彼が月刊「新天地」に最初の作品である「癩詩人韓何雲詩抄」12本を発表した1949年から、この世を去るまで居住したところである。昨年12月に、彼を称える詩碑が富平区の白雲(ぺクウン)公園に建てられた。咸鏡南道咸州(ハムギョンナムド・ハムジュ)で生まれた韓何雲は、仁川(インチョン)に定着した後、成蹊園(ソンヒェウォン)と新明(シンミョン)保育園を設立し、自分と同じ病気を患う患者たちの世話をしながら執筆活動を続けた。
著書には、チョン・ウテク成均館(ソンギュングァン)大学国語国文学科教授、チェ・ウォンシク韓国作家会議理事長、パク・ヨンヒ東国(トングク)大学韓国文学研究所教授、チェ・オクサン中国対外経済貿易大学教授などが参加した。本は、「ハンセン病患者の抑圧された気持ちを表わした詩『デモ』の中の表現のために、一時左翼に決めつけられて苦境に立たされたこともあった韓何雲は、韓国詩壇では最初の下位者だった」と評した。
孫宅均 sohn@donga.com