同書の副題は『絵の中に隠れた人権の話』だ。女性嫌悪、人種差別、移住民や障害者の人権問題など最近、集中的に浮上する人権問題を中心に美術作品を語る。作品性を問う時に基準になった芸術的価値ではなく、人権の観点で作品を見るのだ。
例えば、ポール・ゴーギャン(1848~1903)の「死者の霊が見る」というタヒチに滞在したゴーギャンが、裸のままうつ伏せになった少女を描いた絵だ。女性を性的に「軽い」存在として描いたというだけでなく、このように描かれた女性がフランスの植民地であるタヒチ女性という点も、著者の人権観点では問題とされる。タヒチを舞台としたゴーギャンの絵は、原初的な生命力を持つ芸術作品と評価されるが、「女性、特に植民地女性を他者化し対象化する彼の視線は非難を受けている」と著者は説明する。
プロテスタントの旧約外典に登場するスザンナに関する画家たちの作品と見方も興味深い。一人で沐浴している時に2人の長老に言い寄られるスザンナの話は、多くの画家によって描かれた。レンブラント・ファン・レイン(1606~1669)は、スザンナの目が観客と合うようにする。「私のために証言してほしい」と訴えているようだと著者は解釈する。しかし、グエルチーノ(1591~1666)の絵では、長老の1人が観客と向かい合って指で口を覆う。観客にのぞき見を黙っていてほしいと頼む姿だ。「『シッ!一緒にのぞこう』。加害者は私たち。共犯は私たちだった」。
著者が適用する人権の観点で見る絵の意味は、伝統的な芸術史の見方からは当惑する点が少なくない。人権の基準が皆に同じように適用されなければならないという著者の主張には同意しがたい部分もある。しかし、絵を通じて人権を考える契機になるという点で意味を持つに値する。
金志映 kimjy@donga.com