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1919年ウィルソン米大統領に対して叫んだ独立請願書

1919年ウィルソン米大統領に対して叫んだ独立請願書

Posted March. 01, 2018 10:15,   

Updated March. 01, 2018 10:15

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1919年にフランスのパリ講和会議に初めて提出された「フランス語」の韓国独立請願書が米国立文書記録管理庁(NARA)に保存されていることが、28日確認された。

「パリ講和会議の米国代表団文書ファイル」という名で保存されている独立請願書は、受信者を米大統領である「ウィルソン」に指定し、発信者を「申檉(シンジョン、Shinjhung)、金成(キムソン、Kinshung)」と表記している。

申檉は、1910年代の韓国独立運動において最高の「秘密」組織と言われている同濟社の首長である申圭植 (シン・ギュシク)の中国名であり、金成は同濟社要員「金奎植(キム・ギュシク)」の別名である。申圭植と金奎植は1919年1月25日、中国の上海でそれぞれ韓国共和独立党総裁(President)と事務局長(Secretary General)の資格で請願書が作成され、金奎植からは同年3月、韓国代表の資格でパリ講和会議に参加していた米代表団ホーンベック(S.K.Hornbeck)に直接伝えられた。

米大統領に手紙を送る形で作成されたこの請願書は、日本の陰謀で不当に植民地となった韓国の事情を聴取し、韓国の独立と自由回復の要請を訴える内容が盛り込まれている。

第1次世界大戦後、ウィルソンの民族自決の唱えと戦後処理問題を議論したパリ講和会議は、日本東京の2・8独立宣言、国内の3・1独立運動などを刺激する要因として働いたというのが学界の定説である。今回発見された独立請願書の作成主体とその内容は、韓国独立運動史を新たに解釈できる史料という評価を受けている。

鄭秉峻(チョン・ビョンジュン)梨花(イファ)女子大史学科教授は、「今回発見された独立請願書は、金奎植が呂運亨(ヨ・ウンヒョン)などによって設立された新韓青年党の代表としてパリ講和会議に出席したというこれまでの通説とは違いがある」とし、「独立運動家の申圭植と金奎植が全く新しい党を打ち出して、二人の連名の独立請願書を提出したということは、3・1独立運動史で彼らの活動を新たに解釈できる根拠になるかもしれない」と評価した。


アン・ヨンベ専門記者 ojong@donga.com