2007年、ゼネラルモーターズ(GM)をはじめとする米自動車ビッグ3の労働者の1時間当たりの賃金(福利厚生費などの間接費用を含む)は73.2ドルだった。当時、米国内日本自動車メーカー3社の平均時給である47.6ドルより54%ほども高かった。高コストの構造は、GM競争力を弱めた主な原因だった。
当時、GMは危機を克服しようとピックアップトラックと大型車に注力し、米工場ラインから除外された小型車は、主に韓国GM工場で生産することになった。米本社が危機に見舞われている間、韓国GMが「キャッシュカウ」の役割をしていた理由である。
現在、米国と韓国GMの状況は、11年前とは正反対になった。GMは復活したが、韓国GMは事業継続そのものが不透明である。
2007年、GM工場の高価車集中戦略は、製品構造を歪曲させただけで、あまり効果はなかった。その翌年に金融危機に見舞われ、2009年、GMは結局破産に至った。そうしたGMが昨年10月、株価が史上最高値を記録するなど、堅実な会社に生まれ変わった。専門家らは、GMの復活を導いた重要な要因の一つとして、柔軟に変わった労働組合を挙げる。昨年、GMデトロイト本社を訪問した金容根(キム・ヨングン)韓国自動車産業協会長は、「金融危機と破産を経験したGM労組は『会社が潰れると労組も潰れる』という認識を持つようになり、柔軟に変わった」と説明した。
GM危機説が広がっていた2007年、GM労組は二重賃金制の導入に合意した。新人社員は、既存の労働者賃金の50%だけを受け取るようになった。労働者を二つのグループに分けて、異なる賃金体系を適用したのだ。米国と違って、韓国GMをはじめとする国内主要自動車メーカーは、単一賃金体系を持っている。GMは二重賃金制の導入と一緒に、2015年までに賃金を据え置いた。
2009年、GM破産後、米政府は支援条件として厳しい構造調整を要求した。同年3月、GMは生産職労働者12%に相当する7500人を解雇した。構造調整と共に組合側は過度の福祉恩恵の縮小に同意した。労働形態を柔軟に変えたのもこの時である。外部人員の活用と追加労働への制限が消えた。車両の需要に合わせて臨時労働者を雇って生産を増やす形の素早い対応が可能となった。生産ラインや工場勤務人員を再配置するとき、会社が決定することにしたのも、必ず労働組合の同意を得なければならない韓国GM労組と異なる点である。厳しい構造調整後、GMは徐々に蘇り始めた。GMの米国内生産は、2009年の119万台から2014年は210万台へと伸びた。
自動車業界では、韓国GMがGMの危機克服を他山の石としなければならないという声が高い。組合がより柔軟な姿勢を見せなければならないという。組合の「現代版蔭敍制」と呼ばれる「雇用世襲」の条項を団体協約に保っている点は、世論の批判の対象となっている。雇用労働部は、韓国GMの団体協約に組合員の子供を優先的に採用するように定めた条項があることを確認して、昨年1月に是正命令を下した。雇用世襲は雇用政策基本法(第7条)などの関連法規に違反するという裁判所の判例に基づく措置だった。その後、韓国GM労使は、「自主的に改善する」と約束したが、まだ変化はない。
毎年、労使対立が繰り返される理由として選ばれる「ストをあまりにも簡単にできる慣行」をこの際、見直さなければならないという意見も多い。韓国GM労使は、毎年交渉を行う。GMは交渉周期が4年である。ストライキに突入すると、組合員が工場を占拠して代替労働自体を防ぐことも厳然たる違法。しかし、唯一韓国だけが慣行として認められている。KAISTテクノ経営大学院の李炳泰(イ・ビョンテ)教授は、「合理的な労使関係の構築のために、不法行為は容認しないという政府の役割も重要だ」と話した。
一方、韓国GMは2日まで希望退職の受付を受けた結果、全職員の15%である2400人余りが申請したことが分かった。閉鎖を控えた群山(クンサン)工場だけでなく、富平・昌原(プピョン・チャンウソン)工場でも約1000人が申請した。これにより、人為的な構造調整がなくても群山工場の人員を他の工場に配置すればいいという見方も出ている。これも同様に組合が群山工場の閉鎖や人員配置転換に同意してこそ可能な部分である。
韓友信 hanwshin@donga.com · 柳聖烈 ryu@donga.com