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フランスで人質の身代わりになった警官が死亡

フランスで人質の身代わりになった警官が死亡

Posted March. 26, 2018 08:54,   

Updated March. 26, 2018 08:54

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23日(現地時間)夜、ジャン・バティスト神父は、突然連絡を受け、フランス南部の中世都市カルカソンヌ病院に向かった。仏紙ル・モンドは、「つま先までの長さの司祭服も、歩みを遅らせることはなかった。彼は間に合わないか心配した」と話した。

病院にいたのは、アルノー・ベルトラム中佐(45)。神父を呼んだのは、6月9日に聖堂で彼との結婚式を控えている獣医師のマリエルさんだった。2人は2016年夏、修道院ツアーで初めて出会い、ガイドを務めたのがジャン・バティスト神父だった。ベルトラムさんとマリエルさんは同棲し、数ヵ月間、結婚式を準備してきた。息が切らせて駆けつけた神父は、病室でこのカップルの結婚儀式である婚姻の近いと死を前にした彼のための祈りを同時に行った。愛する人が息絶えていく姿を見守ったマリエルさんは涙を流していた。神父は病室から出て「彼は信念を持ち、最高に勇敢で賢明な男だった」と振り返った。ベルトラムさんは翌日午前6時、息を引き取った。

 

ベルトラムさんは23日午前11時15分頃、カルカソンヌ付近の小都市トレブのスーパーマーケットの人質立てこもり現場に最初に到着した。このスーパーマーケット「スーパーU」には、モロッコ出身の移民のテロ犯、レドゥアン・ラクディム容疑者(25)が客約50人を人質にしていた。ラクディム容疑者は1時間前の午前10時頃、自身が住むカルカソンヌで運転者と乗客を銃で撃って1人を殺害して車を盗み、警官4人に発砲し、一部に重傷を負わせた。逃げて立てこもったのがこのスーパーマーケットだった。

目撃者によると、ラクディム容疑者は片方の手に銃を、もう片方の手にナイフを持っていた。彼はアラビア語で「神は偉大だ」と叫び、カリフ(イスラム統治者)の軍人だと自任した。逃げようとする客や職員を銃で撃って殺害した。

テロ犯と警察との間で交渉が始まった。ラクディム容疑者は、2015年11月に過激派組織「イスラム国」(IS)が犯したパリのバタクラン劇場テロ容疑者の中で唯一逮捕されて裁判を受けているサラ・アブデスラム容疑の釈放を要求した。長い交渉過程で、最後に女性一人だけが人質になり、ベルトラムさんは女性を解放して自分が人質になると提案した。

ラクディム容疑者が承諾すると、ベルトラムさんは武器を捨ててスーパーマーケットに歩いて入った。さほど経過せず、中で銃声が鳴った。ベルトラムさんが電源の入った携帯電話をテーブルの上にこっそりと置いたが、これを通じて内部の状況を把握した対テロ特殊部隊が突入し、ラクディム容疑者を射殺した。ベルトラムさんは銃弾を両足に受けたうえ数回ナイフで刺され、危篤状態だった。ヘリコプターで病院に搬送された。

夜を徹して彼の生還を祈ったフランス全域が悲しみに包まれた。エッフェル塔の火は消え、フランス全域に弔旗が掲揚された。全国の軍人警察の建物に献花が寄せられた。マクロン大統領は、「彼は死ぬ時まで戦い、決してあきらめなかった。フランス市民を守るために命を捧げた」とし、国家葬で追悼すると明らかにした。

子供の時から軍人だった祖父を尊敬し軍人を夢見たベルトラムさんは、1999年、エリート軍士官学校を経て最精鋭対テロ特殊部隊である国家憲兵隊治安介入部隊(GIGN)に選ばれたた。その後、イラク戦争に参戦して十字武功勲章を受け、共和国警備隊所属で大統領宮であるエリーゼ宮の警備を務めた。

弟のセドリク氏は「彼は死ぬことを知りながらも躊躇せずスーパーマーケットの中に入った」とし、「見知らぬ人に命を捧げた」と悲しんだ。母親は、「私の息子は普段も『私は自分の務めに最善を尽くしている』と言っていた」とし、「それが全てだ。これが私の息子の生き方だった」と話した。

ラクディム容疑者は、フランス国家安全保障要注意人物の「ファイルS」リストに含まれている人物だった。彼の自宅からは、ISに言及したノートが発見され、立てこもりの現場からは3つの手製爆弾や拳銃、狩猟用の短剣などが見つかった。ISは自分たちの犯行だと明らかにした。パリ検察庁の対テロ捜査本部は、ラクディム容疑者の友人の17歳の青年と女性1人を共謀の疑いで検挙し、武器を入手した経緯と犯行の動機などを捜査している。


董正民 ditto@donga.com