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「済州4・3の70周年」、心の痛む歴史を振り返る

「済州4・3の70周年」、心の痛む歴史を振り返る

Posted March. 30, 2018 07:59,   

Updated March. 30, 2018 07:59

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1948年4月3日。14歳の少女キム・イングンは厳しい試練に見舞われた。腕に腕章をつけた若者たちが、畦で母と義理の姉、姉を銃で撃ったのだ。父親は訳も分からないまま、近所の貯水池で亡くなった。どれだけ多いひとたちが犠牲になったのか。当時の貯水池の水は赤く変わってしまった。キム・イングンさんは60年が過ぎた2008年になってようやく、美術治療師にこのような記憶を打ち明けた。

ソウル鍾路区(チョンノグ)にある大韓民国歴史博物館3階の企画展示室の入口には、キムさんが美術治療の過程で描いた絵と文が展示されている。キムさんの下手な絵を見ていると、歪んだ韓国現代史の悲劇が丸ごと伝わる。

今年で70周年を迎える「済州島(チェジュド)4・3事件」を振り返る歴史博物館の特別展「済州4・3、今や私たちの歴史」が30日から開かれる。4・3事件の当時、南労党済州島党の武装隊が武装蜂起して以来、1954年9月21日まで済州島で起きた武力衝突と鎮圧の過程で数多い住民が犠牲となった。昨年8月の行政安全部の資料によると、1万890人が命を落とし、行方不明者も4046人も発生したと集計された。韓国現代史において犠牲者数が韓国戦争に次いで多い。

今回の特別展では、李承晩(イ・スンマン)元大統領の署名入りの戒厳宣言文書の原本を初めて公開する。当時は、戒厳令は軍隊が全能の権限を行使するものと思われたので、何の罪もない数えきれないほどの民間人が命を奪われた。戒厳文書を含めて馬山(マサン)刑務所収容者の身分帳など、国家記録院が所蔵している4・3事件関連の記録物9件の原本も初めて披露する。

朱鎭五(チュ・ジンオ)大韓民国歴史博物館長は、「4・3事件はまだ済州道民の長年の傷や痛みとして残っているが、少しでも和解と癒しに役立つことを願いながら展示を企画した」と明らかにした。


柳原模 onemore@donga.com