明日は朴槿恵(パク・クンヘ)大統領が拘束されてからちょうど1年になる日である。よりによってその日の前に現れた「セウォル号7時間」の真実は惨憺たるものである。朴前大統領は、セウォル号惨事の当日、崔順実(チェ・スンシル)被告と大統領府の官邸で会って、アン・ボングン元秘書官など、「ドアノブ3人衆」と打ち合わせをした。大統領府の参謀たちを差し置いて、陰の実力者である崔被告や執事ともいえる人たちと国家的惨事を巡る対策を議論したのである。
◆事故当日の行動について議論が起きると、朴前大統領が嘘をつきとおしたことも、崔順実の存在を隠したかったからであろう。事故当日、大統領の最初の指示は、当時の大統領府の発表より7分が遅れた午前10時22分である。「船が傾いている、ママとパパに会いたい」というセウォル号犠牲者の最後のカカオトークメッセージの送信時間であり、救助のゴールデンタイムだった午前10時17分に先立って大統領が指示したと言い訳するために、時間まで改ざんした。
◆1882年、壬午軍乱当時、忠州(チュンジュ)に避難していた明成皇后は、巫女から日付を占ってもらって、漢陽(ハンヤン)に戻ってきた。宮殿に戻ってきた彼女は、巫女を「真実な魂」という意味の眞靈君に任命した。体が痛い時や重要なことを決めるたびに、明成皇后にアドバイスをしていた眞靈君の権勢は、旧韓末の朝鮮を揺さぶった。これを見かねた司諫院正言の安孝濟(アン・ヒョジェ)は、眞靈君を痛切に糾弾する上訴を上げて、島流しまでされた。
◆朴前大統領には、苦言する忠臣すらいなかった。金淇春(キム・ギチュン)元大統領秘書室長は事故当日、大統領が官邸にとどまっていたことが議論になると、「朝起きたらそれが出勤であり、床に入ればそれが退社だ」と主張した。その言葉通り「出勤」したなら、当時、金章洙(キム・ジャンス)国家安全保障室長の電話に出なければならなかった。苦言どころか連絡すらできなかった大統領が「官邸の寝室で働いていた」という詭弁を並べる参謀だけが傍にいたのは、大統領はもとより、国の不運でもある。
チョン・セジン論説委員 mint4a@donga.com