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アッシリア「正義の王」

Posted April. 10, 2018 08:21,   

Updated April. 10, 2018 08:21

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アッシリアの君主たちは、自分が行った主要な戦闘をリリーフに刻んで、宮殿の壁にパノラマのようにかけておいた。最高の征服君主たちだったアッシュールナツィルパル2世、ティグラト・ピレセル3世、センナケリブ、アッシュールバニパルが巨大な記録画を残した主人公である。この戦争画は、アッシリア軍が敗者に犯した残虐行為、略奪、捕虜殺害、強制移住も加減なく記録しており、衝撃を与える。さらに大きな衝撃は、文書に記録された内容である。アッシリアの王たちは、自分の戦功碑と年代記を碑石を立てて誇り、楔形文字にして帝国中にばら撒いた。その碑文には、自分たちが反乱軍をどのように処理したかを、図よりも生々しく描写しておいた。敵の死体を竿に串刺しにし、王や指導層は、皮をむいて城壁に晒した。

19世紀末から20世紀初頭に、楔形文字が翻訳されて公開されると、人々は衝撃を受けた。「ニネベの人々」という言葉は、半文明的で、血に飢えた残酷な支配者を意味する表現となった。もちろん、このような言葉を聞くと、20世紀の帝国主義者の行動も変わらなかったと反論する。

人類史においてどの国、どの民族がより残酷だったかという質問は愚問である。戦争は誰もが残酷になる。勝者と弱者を選びもしない。強者はより残酷な人ではなく、より残酷になる機会が多かった人である。

アッシリア皇帝たちは一様に、自分自身を「正義の王」と表現した。そのすべての残虐行為の結果として民に正義と安息、豊かな生活を与えたと言う。歴史が私たちに与える真の教えは、集団、国家が行う残虐行為ほど、より強く正義で自分の行動を装飾するというものである。正義の暴力などない。それにもかかわらず、21世紀まで正義の暴力の信念や行動は消えていない。その理由は何だろうか?正義でない要素だけを除去すると、簡単かつ迅速に正義を具現できるという偏狭な信念と焦りのためである。