「西村から出土した內敎印(王妃の印章)は、明成(ミョンソン)皇后が使用した可能性が高いんです」
最近、ソウル鍾路区(チョンノグ)にある景福宮(キョンボクグン)の西側発掘調査現場(通義洞70番地)から出土されて、16日に公開された內敎印2顆のユーザーは、朝鮮時代の憲宗(ホンジョン)~高宗(コジョン)代の王妃たちだろうという分析が出た。
出土した內敎印を検討したソン・ファンイル大田(テジョン)大学書画文化研究所責任研究委員は、「內敎印は、王妃が変わるからと言って新たに作るものではなく、代々に受け継がれて使う」としたうえで、このように明らかにした。ソン研究委員は、王室などの印章1500件を調査したこの分野の専門家である。
ソン研究委員によると、今回出土された內敎印は、印鈕(印章のつまみ)部分の彫刻と書体のデザインが1900~1907年頃に編纂された「寶印符信總數」に出てくるものとほぼ同じである。寶印符信總數は、大韓帝国皇室の寶印(王室と官庁の印章)と符信(信標)を説明した本である。本に出てくる內敎印の図案は、今回出土された內敎印を参考にして描いたものである可能性があるという。
出土した內敎印の形が、大韓帝国期のものと推定される国立故宮博物館所蔵の內敎印2顆よりややずさんなことも、1897年の大韓帝国宣言前に使用されたことを示唆する。
內敎印の字体は小篆である。1823~1834年(純祖23~34年)に明禮宮で使った物品を記録した「 明禮宮鳳下本」に押された內敎印も小篆だが、形が異なる。ソン研究委員は、「小篆は、18世紀後半~19世紀の印章で流行した」とし、「今後研究が必要だが、少なくとも憲宗(在位1834~1849)の代から1880年代まで王妃が使った印章と思われる」と語った。
內敎印を発掘した首都文物研究院(オ・ギョンテク院長)は、內敎印が出土された民家の跡地でかつて宮内府の管理などが住んでいたことが出土と関係があるかどうかを見ている。朝鮮末期の王室印章は宮内府で管理した。
趙鍾燁 jjj@donga.com