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「伝説の王国」阿羅伽倻の痕跡を発見

Posted June. 08, 2018 08:54,   

Updated June. 08, 2018 08:54

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文献や口承だけで伝わってきた阿羅伽倻の王城の実体が初めて確認された。

国立伽倻文化財研究所は、慶尚南道咸安郡伽倻邑伽倻里(キョンサンナムド・ハムアングン・カヤウプ・カヤリ)289番地の一帯で先月から始めた発掘調査の結果、5、6世紀に造成されたと見られる大規模な土城や木柵(垣根)施設、様々な土器片などが見つかったと、7日明らかにした。

阿羅伽倻は、三国史記、三国遺事、日本書紀などの古文献で「阿那加耶」、「阿耶伽耶」、「安羅」のようないくつかの名前で登場したが、いざその記録は残っていなかった。文献によると、阿羅伽倻は金冠伽倻、大伽耶と共に伽倻の中心勢力を成し、6世紀は新羅、百済、倭と国際会議を開いたと伝えられる。史料研究では限界がある状況で、阿羅伽倻の土木技術と防御体系、生活文化を示す考古学資料が大量に出土され、学界から注目が集まっている。

今回発見された土城は、伽倻圏域で発見された遺跡の中では類を見ないほど、その規模が大きく、築造技法が精巧だという評価を受けている。土城の高さは8.5メートル、上部幅は20~40メートルに達する。伽倻文化財研究所のカン・ドンソク研究官は、「同時期に造成された陜川城山(ハブチョン・ソンサン)土城と梁山蓴池里(ヤンサン・スンジリ)土城の高さは4メートルであり、金海鳳凰(キムへ・ボンファン)土城が2.8メートルであることを考慮すれば、伽倻土城の中では規模が大きい方だ」とし「百済の風納(プンナブ)土城の高さが13メートル 、夢村(モンチョン)土城は6メートルという点で、伽倻里土城も王城級遺跡と見ることができる」と説明した。

城壁を築造する過程で木の柱を設置し、土をきちんと積み上げる版築手法を用いたことが確認された。城壁の上部には、防御施設である木柵と推定される2列の木柱が調査された。

土城内部の遺跡の中からは、基盤岩を人為的に掘った横5.2メートル、縦3.4メートル、高さ0.5メートルの穴が見つかった。穴の内部からはかまどと推定される施設が現れ、古墳などの儀礼空間で主に出土される筒形器臺(円筒型の器台)と赤色の軟質土器も一緒に出てきた。カン研究官は、「このような穴は伽倻文化圏では一度も発見されたことのない遺跡だ」とし、「追加研究を通じて、正確な用途を把握する計画だ」と明らかにした。


柳原模 onemore@donga.com