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北朝鮮の金日成一家は3・1独立運動に参加したのか

北朝鮮の金日成一家は3・1独立運動に参加したのか

Posted July. 14, 2018 08:21,   

Updated July. 14, 2018 08:21

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北朝鮮は金日成の父親、金亨稷(キム・ヒョンジク、1894~1926)に育てられた愛国志士と青年学生たちが3・1蜂起を先導したと主張する。 金亨稷こそ3・1運動の事実上の立役者であり黒幕、金日成も8歳の時、平壌ボトンムンでの反日デモに参加したという。

北朝鮮は金亨稷が背後の立役者であったことの根拠として「朝鮮国民会」という国内秘密結社団体を取り上げる。朝鮮国民会は1917年3月、平壌で結成されたものの、1918年2月、日本帝国によって解体、1年足らず存続した団体である。北朝鮮は金亨稷の主導により団体が結成され、この団体の主要人物が平壌などで3・1運動を導いたという。昨年は、人民文化宮殿で結成100周年記念式典を行った。

事実はどうか。朝鮮国民会は確かに2、30代の平壌崇実大学出身の青年たちによって結成された結社団である。拳銃を表す「豚の足」という暗号を使って武器を購入するなど抗日武装闘争をしていた。米国ハワイの朴容満(パク・ヨンマン)組織と連携し、国内外の独立運動の便りを全国に発信した。(カン・ヨンシムの「朝鮮国民会の研究」)

しかし、朝鮮国民会を先頭で導いたのが金亨稷だという証拠は見当たらず他の人が主役だったという証言は多い。朝鮮国民界の核心幹部だったぺ・ミンスは「崇実高校の建物に集まって『大韓国民会、朝鮮支部』を組織した。我が友チャン・イルファンが会長、ペク・セビンは外国通信員、僕(ぺ・ミンス)は書記と通信部長を務めた。組織員は30人で皆頼もしい崇実学校の友人たちであった。」と振り返る。(ぺ・ミンス自叙伝)

チャン・イルファンが実際の指導者であったというのは日本帝国の平安南道刑務部長によって会員25名を逮捕した後、作成された調査資料(秘密結社発見処分の件、保秘3725号)にも表れている。この文書で言及される重要人物の順番をみると、金亨稷はチャン・イルファン、ベク・セビン、ぺ・ミンスに続き4番目に登場する。

カン・ヨンシム研究員(梨花史学研究所)によると、金亨稷は朝鮮国民会事件以降、中江鎮へと引っ越し、1925年中国吉林省に移住、独立運動団体である正義府系の白山武士団と連携して活動を繰り広げ、翌年死亡した。

北朝鮮は3・1運動に金亨稷、金日成親子が参加したと主張しながらも、3・1運動は革命に失敗したと規定している。しかし、私たちは33人の民族代表によって導かれた成功的な非暴力平和運動として位置付けている。南北の視点は真っ向からぶつかっている。


アン・ヨンベ記者 ojong@donga.com