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有能だが不通だった先祖

Posted July. 20, 2018 09:28,   

Updated July. 20, 2018 09:28

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朝鮮の宣祖(ソンジョ)は、日本の侵略を予測できなかったうえ、壬辰倭乱(慶長の役)が起きると、都城と民を捨て、戦乱後も国家再建に失敗した王として記憶される。史劇(日本の時代劇)に登場する時も概ね戦乱と党争の中であわてる無能な君主として描かれる。しかし、子供の頃は天才と言われ、戦争の時も一日も欠かさず書物を傍に置いていたほど学問が深かったし、絵画や書道に造詣が深かったという評価もある。先祖は果たしてどのような王だったのだろうか?

宣祖の字は、速度が非常に速い。これ見ると、頭の回転や判断が速いことが分かる。さらに、字が非常に均一で整っており、隙がないので、論理的で、質素だったという評価が正しいと思われる。縦線が長く、仕上げが確実なことから、意志があり、業務能力が優れていたこともわかる。文字の間隔が狭いのは、自ら判断し、自意識が強く、自己表現と自己認識に厳格だったことを示す。李珥(イ・イ)、李滉(イ・ファン)、尹斗壽(ユン・ドゥス)、李恒福(イ・ハンボク)、李德馨(イ・ドクヒョン)、柳成龍(ユ・ソンヨン)などの傑出した人物が、宣祖の前では息つくことすらできなかったといえる。

しかし、宣祖はリーダーシップに深刻な問題があったのだろう。正しい正方形をなす字は、彼が規定を非常に重視し、保守的だったことを教えてくれる。宣祖の字は字を構成する各部分の間の隙間が狭く、隙間がほとんどない密閉型だ。この点が先祖の字の最大の特徴だが、このようにスペースの小さい字を書く人は、非常に稀である。筆跡学では、自分だけの世界に閉じこもって、心が広くなく包容力がないので、他人の話をゆったりとした気持ちで受け入れないと分析する。このタイプの人物は、小さな会社のリーダーとしても適していないのに、国、特に大危機に見舞われた国を経営したので、問題が生じざるを得なかった。歴史には仮定がないと言われているが、宣祖は国王ではなく、臣下だったらよかったのだろう。

弁護士・筆跡研究家