トカゲが危機に直面すると尻尾を切って逃げるように、私たちも実存の危機に見舞われれば、心の片側を切り捨てる。生きるためだ。フランスの小説家オノレ・ド・バルザックが31歳の時に、ナポレオン戦争を素材に描いた中編小説「アデュー」は、危機的状況で防御仕組みがどのように作動するかを示す。ロシア軍に包囲されたフランス軍が生き残る道は、ベレジナ川を渡る道しかなかった。フィリップ・ド・スッシー少佐は兵士たちを駆り立てて「ノアの箱舟」を急造した。しかし、彼が乗るスペースはなかった。彼は恋人であるステファニー・デ・ヴァンディエール伯爵婦人と彼女の夫の席をかろうじて作って船に乗せた。伯爵夫人は取り残された恋人に向かって涙で別れを告げた。「アデュー!」
ところが、船が川を渡る途中、急激に揺れたことで、端に立っていた伯爵が川に落ち、川に流されてきた氷の塊で伯爵の首が切られ、ボールのように飛んでいった。彼女はその衝撃で記憶を失った。恋人も、夫も、さらに自分が女性だという事実ももはや覚えていなかった。アデューという言葉を、取りつかれたように繰り返したが、そこには感情は込められていなかった。彼女はそのように記憶を切り捨て、正気を失うことになった。それは彼女が生き残るために払わなければならない値だった。
時間が経って、フィリップは偶然伯爵夫人に出会うが、彼女は彼を覚えていなかった。彼女はキャンディを与えられると大喜びする無垢な子供に他ならなかった。彼は苦心の末に、昔の緊迫した状況や雰囲気を人為的に作り出した。彼女の意識を取り戻すためだった。彼の望みどおり、彼女は意識を取り戻して彼を思い出した。ところが、彼の胸に抱かれる瞬間、彼女の体は雷に当たったようにぐったりした。彼女の口からかすかな別れの言葉が出てきた。「大好きです。アデュー」彼女を殺したのは、尻尾を切り捨ててかろうじて生き残ったトカゲを、その現場に取り戻したのと同然の、愛を口実にした男のわがままだった。それはたまに、傷の深さを推し量ることができず、暴力を愛だと勘違いして強要する私たちの悲しい姿に似ている。
文学評論家・全北(チョンブク)大学教授