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戦争犯罪を告発したキリングフィールド資料センター長「被害者は死んでも歴史は消せない」

戦争犯罪を告発したキリングフィールド資料センター長「被害者は死んでも歴史は消せない」

Posted August. 03, 2018 09:40,   

Updated August. 03, 2018 09:40

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先月30日に記者が訪れたカンボジア・プノンペンの「カンボジア資料センター(DCーCam)」所長の事務所の書棚や床には本がいっぱいだった。タイトルの「ホロコースト」、「ジェノサイド(集団虐殺)」といった言葉が目に入った。ユク・チャンDCーCam所長(57)は「この本はジェノサイドをめぐる論争が依然として続いていることを物語る」と説明した。チャン氏は「キリングフィールド」で象徴される1975~1979年のクメール・ルージュ共産政権の残酷さを示す資料を収集してきた功労で、先月26日に「アジアのノーベル平和賞」と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞した。

「雨が降る時、雨が悪い記憶を全て流し去ってくれればいいと考えます。しかし、39年が経った今でも、あの時の記憶はシミのように残っています」。チャン氏もキリングフィールドの被害者だった。クメール・ルージュ政権になった翌年、当時15歳だったチャン氏は、お腹をすかせた妹のためにキノコを盗んで捕まり、村の人々が見る前で拷問を受けた。クメール・ルージュが虐殺した約200万人の良民の中には、彼の父親や兄弟5人、60人近くの親戚も含まれる。

チャン氏は、「プノンペンの中間層の家庭で育った私になぜこのようなことが起きたのか理解したかった」と資料収集のきっかけを語った。1995年にDCーCamを設立したチャン氏は、クメール・ルージュ政権に関連した数百万件の資料と写真を集めた。チャン氏は、カンボジア特別法廷(ECCC)に資料を提供し、直接証言台にも立ち、クメール・ルージュ政権の中枢の人々を断罪するうえで重要な役割をした。

チャン氏は、カンボジアが依然として過去から抜け出せていないと見ている。チャン氏は、「若者は両親から当時の状況を間接的に伝え聞いている」と説明した。そして、「おぞましい過去を克服するための最善の方法は教育だ」とし、「過去の失敗を学び理解してこそより良い未来に進むことができる」と強調した。カンボジアは2009年から高校でクメール・ルージュ政権に関する内容を必須で教えている。

チャン氏は、日本の植民地支配期の戦争犯罪で今も葛藤を生じている韓国と日本も同じだと見た。チャン氏は、「(戦争犯罪が)なかったことにはできない。時間が経っても被害者の心が癒されることはない」と述べた。また、「被害者は苦しくても希望を捨ててはいけない。被害者が死んでも記憶は続く。歴史を消すことはできない」と強調した。

チャン氏は、「1948年に国連でジェノサイド条約が採択されたが、その後、世界がジェノサイドを予防した例は一件もない」と批判した。特に、世界に広がっている「イスラム嫌悪」現象について、「嫌悪を放置すれば、人々は偏見を持ち続け、ジェノサイドにつながる恐れもある」と警告した。そして、「過去の失敗が繰り返されないようにするには、世界各国がジェノサイドについて教育し、防止できる政策を講じなければならない」と強調した。


プノンペン=ウィ・ウィンジ記者 wizi@donga.com