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朝鮮末期にも韓国の詩文学は花を咲かせていた

朝鮮末期にも韓国の詩文学は花を咲かせていた

Posted August. 25, 2018 08:05,   

Updated August. 25, 2018 08:05

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19世紀の朝鮮末期は、詩文学史では脆弱な時期だ。列強の侵略の中で伝統と近代が衝突し、伝統に属するものが崩れたためだ。高宗(コジョン)時代に文壇と文人の活動像が盛られた史料も、他のどの時期よりも足りない。「榕燈詩話」の価値は、だから大きい。

著名な詩人であり、官僚だった茂亭・鄭萬朝(チョン・マンジョ、1858~1936)が、乙未事変に巻き込まれて流刑となった全羅南道珍島(チョンラナムド・チンド)で、1906年頃この批評集を完成した。タイトルの通り、榕の窓辺の油火の下で書いた詩画だ。1938年、朝鮮総督府の機関紙「毎日(メイル)新報」の文化面に掲載された「榕燈詩話」を、成均館(ソンギュングァン)大学の安大會(アン・デフェ)教授とキム・ボソン成均館大学大東文化研究院選任研究員が昨年10月に見つけて、現代語に訳した。

鄭萬朝は、朝鮮詩文学が18世紀以降衰退して、末期にその命脈が切れたという既存の見方を拒否している。19世紀初頭に活躍した漢詩四家(李德懋、朴齊家、柳得恭、李書九)などが以前とは違う詩風を通じて、詩文学の継承と発展を成し遂げたのだ。

安教授は、「榕燈詩話は高宗時代の詩壇を全体的に眺めたほぼ唯一の史料だ」と評価する。姜瑋(カン・ウィ)、黃玹(ファン・ヒョン)など、当代の主要作家と知られない作家たちの詩が載っている。興宣(フンソン)大院君、金弘集(キム・ホンジプ)、兪吉濬(ユ・ギルジュン)などの詩とそれにまつわるエピソードも盛り込んだ。

ソウル南山(ナムサン)の北側地域である會賢坊(フェヒョンバン)を中心に詩を創作した詩社「南社」の活動も豊かに示している。言及した人物の活動は、読書を通じて間接的に得たものではなく、鄭萬朝が直接体験した体験をもとに記した。

鄭萬朝は、日本植民地時代に京城(キョンソン)帝国大学講師、朝鮮史編修会委員などを経て、親日行跡を続けた。安教授は、「親日行跡はそれなりに評価しなければならない」とし、「朝鮮末期の詩壇と知性界、政界を深く理解するように案内する優れた著書として活用するのが正しい」と語った。


申圭鎭 newjin@donga.com