大阪で生まれた安藤忠雄さん(77)は反骨精神の持ち主だ。関東地方の東京が官が作った都市なら、関西地方の関門である大阪は空理空論より実践を重視する商人が作った。
豪快な祖母に育てられた少年は、一人で船に乗ってタイに渡り、ボクシングをするほど独立的だった。初めての海外旅行地であるバンコクの川や運河、寺院に魅了された安藤さんは建築家を夢見る。古本屋で見つけた「近代建築の父」ル・コルビュジエの図面集を書き写し、日本の伝統建築物を現地調査した。1964年、ル・コルビュジエに会いたい一心でシベリア横断鉄道に乗る。しかし、フランス・パリに到着する直前の53年前の今日(65年8月27日)、ル・コルビュジエは息を引き取る。
安藤さんは65年から4年間、ロシアや欧州、米国、アフリカ、マダガスカル、シンガポールなどを旅した。大学教育を受けていないが、世界各地の建築物は生きた建築学の教科書だった。インド・ガンジス川の火葬場では人生の無常を知る。29歳で建築事務所を開き、小型都市の住宅設計から始めた。変わり者の芸術家を包容する関西地方の風土は、安藤さんが成長する踏み台になった。
安藤さんは、現地の地形と風景を生かす建築で有名だ。金属の製錬で汚染された島、直島は、安藤さんが設計した「ベネッセハウス」(92年)、地中に作った「地中美術館」(2004年)、「李禹煥(イ・ウファン)美術館」(10年)で国際的な名所になった。北海道の「水の教会」(88年)、人工池の下に佛様が安置された「水御堂」(91年)、スリランカ南部のミリッサの海岸の崖に作った「海と空が見える家」(11年)は、淀川上流で成長し、水に慣れ親しんだ安藤さんの特技が発揮された。
95年に「建築界のノーベル賞」と呼ばれる米プリツカー賞を受賞し、ハーバード、イェール、コロンビア大学で講義した。20代でバスで米国を横断した経験は、大切な財産になった。特に草創期のクェーカー教徒の節制した生活と単純な工芸品は強い印象を与えた。開拓者精神に満ちた米国は、安藤さんによく合った。テキサス「フォートワース現代美術館」(02年)をはじめ、ニューヨーク、マサチューセッツ、カリフォルニアなどに安藤さんの建築物が建てられた。
メキシコの高山都市モンテレイ、中国・上海、台湾・台中、韓国・済州島に安藤さんの舞台は広がっている。アジアの在来市場を訪れ、ベトナムの古都フエのフォン川付近の皇宮を散策し、建築の意味を省察した安藤さんの作品は、自然を抱く辺境で光りを放つ。最近は、アラブ首長国連邦の首都アブダビとアラビア海の島国バーレーンを頻繁に訪れる。アラビア語で「幸福」を意味するサディヤット島に「アブダビ海洋博物館」、「バーレーン遺跡博物館」を通じて大胆な幾何学的設計を実現することに没頭している。18歳の時の体重63キロを生涯維持している現役建築家の鼓動は今日も熱い。
地理学者・京仁教大教授