三国志の名将、関羽は、戦闘中に毒矢を受けて負傷する。名医の華佗が矢を抜いて骨を削る手術をし、関羽を救った。手術する間、関羽は平然と碁を打った。この話は小説だが、古今東西を問わず、名将にはこのような話がついて回る。
アレクサンドロス大王は、インド遠征からの帰路での最後の戦闘で、一人で城に飛び込んだ。一人で激闘を繰り広げ、右のわき腹に矢が深々と刺さった。矢の先が動脈を傷つけた。名医クリトボロスが傷口を広げて矢を抜き取ると、血が噴水のように吹き上がった。アレクサンドロス大王が少し動いても動脈が破裂する危険な手術だったが、彼は他人が自分の体を押させることを拒み、手術の間、微動だにしなかったという。
このような話が、将軍のカリスマと伝説を生み出すための作り話なのか事実なのかは確認できない。事実としても、このような手術の機会を得ることができること自体が皇帝や将軍に特別に与えられた機会だった。戦場での野戦医学は、近代の戦争まであってないようなものだった。伝染病や細菌に対する無知や不衛生のため、すべての戦争で戦死者よりも病気で死ぬ人が多かった。18世紀の英国軍でも、病気による兵士の減少率は毎月10%だった。
負傷者に対する処置はおぞましいものだった。弾丸や破片による傷は切断する以外に方法がなかった。手術の能力があったとしても、野戦病院が押し寄せる負傷者を受け入れる能力は備わっていなかった。腕や足を負傷すれば、切断がほぼ唯一の方法だった。18世紀から19世紀後半まで、野戦病院には切断された腕や足が山積みとなった。今の医学から見れば治療ではない。しかし、その時には弁解にはなる。無知で能力が備わっていなかったからだ。最近の韓国社会を見ると、問題があれば切り捨てようという対策が乱舞している。これは治療ではないどころか野蛮であり犯罪だ。
歴史学者