南北関係、任鍾晳氏が出る幕ではない
Posted September. 14, 2018 08:36,
Updated September. 14, 2018 08:36
南北関係、任鍾晳氏が出る幕ではない.
September. 14, 2018 08:36.
by イ・チョルヒ記者 klimt@donga.com.
突然だった。「特使団が再び平壌(ピョンヤン)に行きます。私たち自ら新たな条件と状況を作らなければならないという切実さを抱いて・・・」。任鍾晳(イム・ジョンソク)大統領秘書室長が3日、フェイスブックに投稿した文だ。何気に書いた気軽な考えや思いつきではなかった。任氏が、「板門店(パンムンジョム)宣言履行推進委員長」を務めているというが、何か気になった。任氏が投稿したのは、特使団の訪朝の2日前、特使名簿が発表された翌日だった。そのため自分が平壌に行くことができないことへの残念な思いと読めた。首席特使として鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長ではなく任氏を送る案が浮上しているという話があった。任氏が、2月の金与正(キム・ヨジョン)氏のソウル訪問の時、歓送晩餐を開き、4月の板門店会談でも与正氏のカウンターパートだった。任氏が意欲を示すのも理解できる。そして8日後の11日。任氏はフェイスブックに、大統領の平壌同行要請を断った国会議長団と野党代表に対して、「オールドボーイではなく花咲じいさんの態度を見せてほしい」と書いた。呼びかけだというが、そうは読めなかった。大きな失望感がにじみ出た。成果を出さなければならないという焦りも見られた。任氏は、「私も早くに制度圏政治に足を踏み入れた」とし、「重鎮の力」を強調した。実際、新人議員の頃、任氏は先輩の重鎮議員に夜遅く酒の席に呼び出されてもすぐに駆け付ける付き合いのいい若手議員だった。国会議員に再選し、ソウル市副市長を経て、リアルな政治家になったが、意欲は先走り、仕事の処理はお粗末だった。30年前の任氏の姿まで想起される。任鍾晳・全国大学生代表者協議会(全大協)議長が集会に登場すれば、数千、数万の学生が一斉に起立し、「救国の鋼鉄隊列、全大協!」と叫び、全大協進軍歌を歌った。大衆スターに劣らない人気だった。警察の包囲網が狭まれば、数百の学生が任氏を取り囲み、警官と攻防を繰り広げ、数十人の「偽任鍾晳」が「私が任鍾晳だ」と叫び、任氏の脱出を助けた。(パク・チャンス『NL現代史』)当時、任氏の名前は北朝鮮でも広く知られていたと脱北者たちは伝える。全大協から平壌祝典に派遣された林秀卿(イム・スギョン)氏に劣らず、「ファッショ徒党と戦う神出鬼没のイム・ギルトン」で通っていたという。そのため、今回、自分が前面に出て役割を果たすなら、北朝鮮を説得して絡まった韓半島情勢を解くことに役立つことができると考えたかも、また、周囲でそのように勧めたかも知れない。しかし、果たしてそれが当たっているだろうか。大統領府を見つめる保守野党と一部の国民のまなざしは念頭に置かなかったのだろうか。南北関係はもとより民主国家ですべての対外政策の終着地は国内政治だ。いくら立派な国家間の合意を成しても、国民と議会を説得できなければすべてはなかったことになってしまう。2度の次世界大戦を終えた米国の2人の元大統領の経験は、その成否を如実に示す。大学総長出身の理想主義者ウィルソン元大統領は、パリ平和会議で国際連盟の創設を貫徹させたが、上院を掌握した孤立主義野党の反対を越えることができなかった。一方、骨の髄まで政治家だったルーズベルト元大統領は、ウィルソンの失敗から徹底して学び、ヤルタ会談の出席に先立ち有力野党議員と非公式の同盟も結んだ。彼の死後も集団安保体制の国連が生き残れた理由だ。今のトランプ米大統領の下では、米朝交渉が妥結しても果たして議会の関門を突破できるか疑問だ。中間選挙に神経が向いているトランプ氏は、北朝鮮との交渉よりも当面の状況管理に重点を置く可能性も高い。そうなると来週平壌で出る成果も、非核化を除いてはすべて暫定的な合意に終わる。意欲を前面に出して論議を呼ぶ理由はない。
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突然だった。「特使団が再び平壌(ピョンヤン)に行きます。私たち自ら新たな条件と状況を作らなければならないという切実さを抱いて・・・」。任鍾晳(イム・ジョンソク)大統領秘書室長が3日、フェイスブックに投稿した文だ。何気に書いた気軽な考えや思いつきではなかった。任氏が、「板門店(パンムンジョム)宣言履行推進委員長」を務めているというが、何か気になった。
任氏が投稿したのは、特使団の訪朝の2日前、特使名簿が発表された翌日だった。そのため自分が平壌に行くことができないことへの残念な思いと読めた。首席特使として鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長ではなく任氏を送る案が浮上しているという話があった。任氏が、2月の金与正(キム・ヨジョン)氏のソウル訪問の時、歓送晩餐を開き、4月の板門店会談でも与正氏のカウンターパートだった。任氏が意欲を示すのも理解できる。
そして8日後の11日。任氏はフェイスブックに、大統領の平壌同行要請を断った国会議長団と野党代表に対して、「オールドボーイではなく花咲じいさんの態度を見せてほしい」と書いた。呼びかけだというが、そうは読めなかった。大きな失望感がにじみ出た。成果を出さなければならないという焦りも見られた。
任氏は、「私も早くに制度圏政治に足を踏み入れた」とし、「重鎮の力」を強調した。実際、新人議員の頃、任氏は先輩の重鎮議員に夜遅く酒の席に呼び出されてもすぐに駆け付ける付き合いのいい若手議員だった。国会議員に再選し、ソウル市副市長を経て、リアルな政治家になったが、意欲は先走り、仕事の処理はお粗末だった。30年前の任氏の姿まで想起される。
任鍾晳・全国大学生代表者協議会(全大協)議長が集会に登場すれば、数千、数万の学生が一斉に起立し、「救国の鋼鉄隊列、全大協!」と叫び、全大協進軍歌を歌った。大衆スターに劣らない人気だった。警察の包囲網が狭まれば、数百の学生が任氏を取り囲み、警官と攻防を繰り広げ、数十人の「偽任鍾晳」が「私が任鍾晳だ」と叫び、任氏の脱出を助けた。(パク・チャンス『NL現代史』)
当時、任氏の名前は北朝鮮でも広く知られていたと脱北者たちは伝える。全大協から平壌祝典に派遣された林秀卿(イム・スギョン)氏に劣らず、「ファッショ徒党と戦う神出鬼没のイム・ギルトン」で通っていたという。そのため、今回、自分が前面に出て役割を果たすなら、北朝鮮を説得して絡まった韓半島情勢を解くことに役立つことができると考えたかも、また、周囲でそのように勧めたかも知れない。
しかし、果たしてそれが当たっているだろうか。大統領府を見つめる保守野党と一部の国民のまなざしは念頭に置かなかったのだろうか。南北関係はもとより民主国家ですべての対外政策の終着地は国内政治だ。いくら立派な国家間の合意を成しても、国民と議会を説得できなければすべてはなかったことになってしまう。
2度の次世界大戦を終えた米国の2人の元大統領の経験は、その成否を如実に示す。大学総長出身の理想主義者ウィルソン元大統領は、パリ平和会議で国際連盟の創設を貫徹させたが、上院を掌握した孤立主義野党の反対を越えることができなかった。一方、骨の髄まで政治家だったルーズベルト元大統領は、ウィルソンの失敗から徹底して学び、ヤルタ会談の出席に先立ち有力野党議員と非公式の同盟も結んだ。彼の死後も集団安保体制の国連が生き残れた理由だ。
今のトランプ米大統領の下では、米朝交渉が妥結しても果たして議会の関門を突破できるか疑問だ。中間選挙に神経が向いているトランプ氏は、北朝鮮との交渉よりも当面の状況管理に重点を置く可能性も高い。そうなると来週平壌で出る成果も、非核化を除いてはすべて暫定的な合意に終わる。意欲を前面に出して論議を呼ぶ理由はない。
イ・チョルヒ記者 klimt@donga.com
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