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「新羅の笑み」の人面文軒丸瓦が「宝物」になる

「新羅の笑み」の人面文軒丸瓦が「宝物」になる

Posted October. 03, 2018 08:50,   

Updated October. 03, 2018 08:50

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学生時代に慶州(キョンジュ)に修学旅行に行ってきた人たちなら、一つぐらいはお土産として持っているはずの慶州の人面文軒丸瓦。「新羅の笑み」と呼ばれるこの瓦が宝物に指定される。

文化財庁は、慶州の人面文軒丸瓦と慶尚北道軍威郡法住寺(キョンサンブクド・グンウィグン・ボブジュサ)の掛仏図、忠清南道礼山郡大連社(チュンチョンナムド・イェサングン・テリョンサ)の毘盧遮那仏掛仏図、慶尚北道尙州市南長寺(サンジュシ・ナムジャンサ)の靈山會(ヨンサンフェ)掛仏図、「景禪寺」(キョンソンサ)銘青銅鼓 、張哲(チャン・チョル)の靖社功臣錄券の6件を、宝物に指定予告すると、2日明らかにした。

慶州の人面文軒丸瓦は、日本植民地時代に慶州靈妙寺(ヨンミョサ)の跡地(現在は史跡第15号の興輪寺址)から出土した。1934年にこのニュースを聞いた日本人医師田中敏信が、慶州の骨董店で購入して日本に搬出されたが、故パク・イルフン元国立慶州博物館長の粘り強い努力で、1972年10月に韓国国内に帰ってきた返還文化財だ。枠を利用して一律に作る一般的瓦と生産方式が違って、手で直接作った。直径11.5センチ、厚さ2センチのサイズで、左下の一部が無くなっているが、額と両目、高い鼻、穏やかな笑みが両頬の顎の線と調和を成す。軒丸瓦とは、軒や塀の端に瓦を仕上げるために使った丸い形の瓦だ。文化財庁は、「瓦の遺物が単独で宝物に指定されるのは初めてだ」と説明した。

文化財庁の精密調査を通じて新たに価値が知られた掛仏図3件も目立つ。掛仏図は靈山齋、薦度齋などの大規模な屋外仏教儀式のために作られた大型仏画だ。1750年に制作された礼山郡大連社毘盧遮那仏掛仏図は、毘盧遮那仏を中心に置いて、文殊・普賢菩薩等を上下に描いた五尊形式をとっている。19世紀以前に描いた毘盧遮那仏の仏画はほとんど残っておらず、五尊の構図もその例がほとんどないという点で価値を認められた。

寺院の儀礼の時に使われた景禪寺銘青銅鼓は、13世紀の高麗時代の青銅鼓のうち、紀年銘(制作年代を明らかにした銘文)がユニークな遺物だ。景禪寺は高麗時代に建てられた寺だが、その後姿を消したことが分かっている。1398年の第1次王子の乱の平定に功を立てた中樞院副使・張哲(1359~1399)に発給した功臣錄券は、これまで唯一確認された定社功臣の錄券で、歴史・国語学・書誌学的価値が高く評価された。


柳原模 onemore@donga.com