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写真の倫理

Posted October. 17, 2018 09:31,   

Updated October. 17, 2018 09:31

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米国の有名報道写真編集者であるドナルドR・ウィンズロは、ある日一通の電話を受けた。電話をした人は、「サイゴンの即決処刑」で有名な世界的写真家エディ・アダムスだった。彼は近いうちに自分が死んだら、「サイゴンの即決処刑」についての言及を自制してほしいと切に頼んだ。

二人の死と関連する写真家として記憶されたくないということだった。彼が言う二人は、グエン・ゴク・ロアン南ベトナム将軍と彼の銃に死んだベトコン捕虜グエン・ ヴァン・レムだった。実際死んだ人は一人だったが、彼は将軍もその写真によって死んだと思った。「二人はその写真で死にました。将軍はベトコンを殺し、私はカメラで将軍を殺しました」。良民虐殺の首謀者であるベトコン捕虜が処刑された状況は、写真の刺激的イメージのためにどこかに消え、結果的に将軍だけを邪悪な人物として浮上させたという、そのため自分が殺したのと同じだという自責だった。彼が従軍写真家としてついて歩いた将軍は、決してそんな人物ではなかったが、その写真が彼に消すことのできない烙印を押した。

たとえ戦争の野蛮性を喚起させながら反戦世論に火をつけて、ピューリッツァー賞まで受賞した写真だったとしても、彼は罪悪感を感じさせる恐ろしい写真を記憶されたくなかった。「私は人が他の人を殺すことを示すことで、お金をもらいました。二つの命が破壊され、私はその対価としてお金をもらったのです」。それなら彼はどのように記憶されたかったのだろうか。南ベトナムの敗亡直後、ベトナムを脱出して海上を漂う難民(「ボートピープル」)を撮影した写真家として記憶されたかった。

それらの写真で米議会と政府を動かし、20万人以上のベトナム難民を米国が受け入れることに貢献したことで覚えられていたかった。彼の電話は、狙いとは異なるイメージで固着されて消費され、最終的には半分の真実だけを語る写真の危険性を喚起させた。それは自分によって傷ついた他人を配慮する最小限の倫理的ジェスチャーでもあった。

文学評論家・全北大学教授