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フリーダの人生礼賛

Posted October. 31, 2018 09:38,   

Updated October. 31, 2018 09:38

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フロイトの言葉のように、同じ列車事故に遭ってもトラウマに悩まされる人がいるし、それに耐えて生き残る人がいる。アーティストたちも例外ではない。トラウマに崩れる芸術家がいれば、トラウマを乗り越える芸術家もいる。メキシコの画家フリーダ・カーロは後者に当たる。

6歳のときにポリオにかかり、18歳の時は、背骨や骨盤が砕ける深刻な交通事故に遭い、晩年には片足を切断しなければならなかった画家。彼女が残した絵画の3分の1以上が自画像であることは、ベッドに横になっている時間が多かったからだ。三十回以上の手術、複数回の流産、それらに起因する後遺症。本当に苦しい人生だった。ところが、普通の人だったらもう崩れていたはずなのに、彼女はそうではなかった。「矢に当たった鹿」というタイトルの絵が比喩的に暗示するように、彼女は人生の矢に当たって血を流しながらも、傷や痛みに屈せず尊厳を守った。鹿(画家)のぴかぴかと光る目つきがその証拠だ。

40代半ばの年齢で死ぬ直前に描いた最後の絵「ヴィヴァ・ラ・ヴィダ 」はなおさらそうだ。完全なものから細かく切った欠片に至るまで、様々なタイプのスイカを描いた静物画は、彼女が生きてきた暗鬱な人生とは全く異なる感情を喚起する。のどが渇いた人はここに来なさい。まるでこう語るように、画家はスイカを差し出しながら、人生への私達の渇きを癒してくれる。彼女の周りにちらついていたはずの死の影は跡形もなく、渇いた者に渡すおもてなしのジェスチャーだけがある。これだけではない。中央下に配置されたスイカの赤い中味には「ヴィヴァ・ラ・ヴィダ」、つまり「人生よ、万歳」と書かれている。

死が差し迫った状況で、画家に人生のおもてなしするスイカを描かせたのは何だったのか。先住民の血がそっと流れる画家として感じるメキシコへの愛、革命と将来への応援だったのだろうか。それが何であれ、彼女には傷や痛みを見つめ、押し出しながら命を称える、ニーチェが語った「力の意志」があった。