済州(チェジュ)で生まれ、済州で詩を書いた文忠誠(ムン・チュンソン)詩人が、今年11月に地上を去った。済州を大変愛していた「済州の詩人」だった。彼の最初と最後はいつも済州島だった。登壇作は「済州の海」であり、最初の詩集のタイトルも「済州の海」だった。彼の名前を広く刻印させたのも、まさに「済州の海」だった。
詩で彼は、「済州の人でなくては本当の済州の海を知りえない」と主張した。全身で知ってしまい、全身で記憶した済州の海がまさに本物だという意味だ。いったい本物とは何だろうか。この詩人にとって、済州の海は母の涙の海だった。外から吹き付ける力によって苦しめられる拠り所だった。さらに大麦のように青く生きている生命であり、幼年の貯蔵庫だった。
詩人の口から済州の海のすべての物語を聞いていれば、知ることになる。この詩人は、太陽が昇る、日が暮れる、揺れる、雄叫びする、深まる、退くすべての海の様子を見ていたという事実をだ。詩人は海を眺めて、記録し、懐かしがった。これを言い換えれば、詩人は海を「愛」した。私たちは、果たして一つの対象をこれまで愛したことがあったのだろうか。詩の愛の前に、私達は頭を下げ、詩の愛の中に済州はなおさらきらびやかになっていく。
文学評論家
李沅柱 takeoff@donga.com