Go to contents

節制して思慮深い金炳魯

Posted December. 07, 2018 08:35,   

Updated December. 07, 2018 08:35

한국어

初代最高裁院長である金炳魯(キム・ビョンロ)は、20歳のときに金東臣(キム・ドンシン)義兵部隊に参加して、淳昌(スンチャン)の日本人官庁を襲撃した抗日闘士である。「日本帝国から迫害を受けて悲惨な苦痛に苦しむ同胞のために、役立つことがあれば行動をしよう」と弁護士となり、数々の独立運動関連事件を無料で弁論した。主導していた新幹会が解散され、思想事件の弁論でも制限を受けることになると、田舎に行って農業を営みながら独立するまで13年間隠遁生活をした。最高裁院長在任の9年3ヶ月間、司法部の外からの圧力と口出しを振り切って、司法権独立の基礎を固めた。退任後は、独裁に対抗して戦った。

金炳魯の字の最大の特徴は、小さいサイズと広い行の間隔である。小さな文字は緻密さ、慎重さ、現実感、冷静な抑止力、注意力、警戒心、謹慎、謙虚さ、節制を意味する。広い行間隔は、他人に被害を与えることを嫌い、慎重さ、思いやり、節約などを意味する。このように先生は思慮深く、慎重で節制することを知っており、他人に被害を与えることが嫌いで、誇示慾なんてなかっただろう。筆線が柔らかく筆圧が強くないことから見て、人柄が素晴らしくて角立っていなかったことが分かる。非常に規則的な文字は論理的であり、一貫性があり、予測可能な人だったことを知らせる。

母音の最後の部分の字画の払いは、強い忍耐力を意味する。先生は司法権独立のためには、李承晩(イ・スンマン)との対立も辞さなかった。1952年の釜山(プサン)政治騒ぎ直後に、最高裁判事たちに、「暴君的な執権者があたかも正当な法に基づく行動であるかのように、形式をとって立法機関に強要したり、国民の意思に従うように操作する手法は、民主法治国家ではあり得ないことであり、これを抑制できる道はただ、司法の独立だけだ」と強調した。先生にとって、司法権と裁判の独立は、少しも譲歩できない絶対的な命題だった。生涯信念を守った人生の軌跡は、後代に深い感銘と教訓を与える。